僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

卑怯な生活

飲酒歴40年、断酒歴7年と5カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。

本日もリスボンの、これからも続く綱渡り?ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

時々、ここでも報告していますが、

僕とパートナーの間には、人間同士としての愛情も信頼の感情も存在しません。

漠然とした経済的な先行きの不安感だけが、共同生活を維持している唯一の理由です。

どうしても必要なこと以外は、朝と睡眠前のあいさつ以外、言葉も交わしません。

 

もちろん、ここまで関係が冷え切ってしまうまでには、いろいろなことがありました。

僕の陰湿な飲酒生活も無視できない要素であることは否定できません。

 

しかしそれ以上に僕は、パートナーを人間として許すことができません。

アヤツは一時、ウンコ・シンゾー・アベの支持者でした。

あの、道徳観も倫理観も、そして人権に対する配慮ももたない、

政治家としてのみならず、人間としても最低最悪のゴミ男を支持していたのです。

 

恐らくパートナーの人権に対する意識も、ウンコ男とそれほど変わらないでしょう。

彼女はどうも、

障害者をはじめとする少数者は、世間の目を気にしながら生きるべきだと考えている節があります。

 

ある時、このクソ女は、

「私が性的少数者当事者だったら、そのことを表に出さずに生きる」と言いました。

本人は気がついていませんが、この発言は、明らかに性的少数者の人権を否定しています。

周囲に波風を立てない生き方こそが正しいと考えているようですが、

少数者が自らの権利を主張した時に周囲に波風が立つのは、

周囲、つまり社会の側に問題があることがほとんどであるという、

障害者の権利を追求してきた先達たちが磨き上げてきた珠玉の思想を、

このバカ女は理解しないようです。

 

パートナーの出身地域は、周囲との軋轢をできる限り避けて生きることに最大の徳を見出そうとする、

この国の最も醜い精神構造が異様なまでに支配的な地域です。

未だにこの地域では、ジミントウという旧守的な利権集団が、

信じがたいほどの幅を利かせています。

 

僕は人生の途中で、障害とともに暮らす人びとと出会うことで、

僕の人生の意味を見出しました。

そんな僕にとって、少数者の人権の重要性を理解できない人物と世帯をもってしまったことは、

明らかに失敗でした。

 

でも情けないといえば情けないのですが、

経済的な観点からは、僕たちは愛情も信頼もない同居関係を継続することが一番、楽なようです。

この卑怯極まりない綱渡り生活を、少しばかりの忸怩たる思いとともに継続していきます。