この頃、新聞やニュースの死亡記事が気になります。
亡くなった方の年齢を見ると、僕の歳の10歳前後、年上の方の訃報が目につきます。
僕が仕事をしている業界では、僕の現場デビューは、非常勤職で20代前半、専任職で30代前半でしたから、
比較的、早い方でした。
ずーっと、若者たちと世代が近いという錯覚の中で仕事をしてきました。
もちろん、錯覚でした、錯覚。
そして50代を迎え、学生たちの保護者の皆さんが、自分とほぼオナイ、或いは場合によっては、年下の場合も少なくなくなり、また、学会等で役員等の役職を仰せつかることも増えてきました。
そしてこの度、死線を彷徨っていたかもしれない病気になりました。
年齢から言っても、病状から言っても、死を直視せざるを得ない立場に立たされていることを痛感させられます。
加齢ならびにアルコール由来の痴呆の症状も自覚させられます。
後、どのくらい生きさせてもらえるのか、そしてその中でどんなことができるのか、
ふと考えさせられる瞬間が増えてきました。
愛すべきこどもたち(僕のこどもという意味ではありません)と、どのくらい遊べるのか、
世界中のどれだけの都市を訪れることができるのか、
若者たちに対して、知的な刺激を与える存在で居続けることがどのくらいできるのか。
様ざまな方々の死亡記事を目にしながら、自分のことと重ね合せて考えることのできる歳になったようです。