ニュースを見ていてあの人物が登場するだけで、虫酸が走ります。
ましてや、声なんか流れてきたら、テレビをぶち壊したくなります。
当然、名前を書くのもいやです。
何で、あの人がこの国の総理大臣なんだろう。
制度的な話をすれば、僕たち、選挙権をもった国民の総意志に基づいているんだよね。
でも、制度の運用という点から、かなり僕たちの感覚とは異なったところで政治が動いているようです。
ちゃんとした分析はできませんが。
お上の言うことには逆らってはいけない。
長いこと、この国の安定的な繁栄を支えてきた伝統的な価値観、
ただし、下には下がいるからいいか、と思わせて、多くの人びとの不満を無力化させることによってその力学を保持してきた価値観。
そして、この国において常に排除、疎外の対象にされてきたのが、様ざまな意味での異者でした。
異者を排除・疎外の対象にし、力のトリクル・ダウンのガス抜きの沈殿池とすることで、この国の文化や権力構造は成り立ってきたように思います。
昭和はそのような社会構造に対して新しい枠組みを模索し、止揚しようとした運動の混乱期だったのかもしれません。
もちろん、昭和の取り組みの多くは、負の遺産を残しました。
楽観的に過去の全てを賛美するつもりはありません。
でも、平成に入ってからの様ざまな社会現象について思いを馳せると、僕たちの国が過去を反省しながら積極的に新しい時代を模索していくという姿勢を放棄しているように思えてなりません。
色々な現象から僕は、そのようなことを感じています。
個々の事象についてはまたゆっくり考えたいと思いますが、5月3日、ふと、こんなことを考えました。
ごめんなさい、あまり楽しい内容ではなくて。