僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

King Crimson Discipline

僕は、プログレ世代とパンク世代の両方を体験しています。

いきなりですが、今日は、僕の音楽遍歴、それもロック遍歴の話です。
(今日の書き込みは、かなりディープにかつ、コアに踏み込もうと思っています)

僕のリスナー兼プレイヤーとしてのミュージシャン遍歴は、大きくは、クラシカルの部とポップスの部に分かれますが、ポップスの部もさらに、ジャズの部とロックの部に分かれます(高校時代には、フォークの部という時代もありました)。

ロックの部の僕は、リスナーとしてもプレイヤーとしてもかなり偏っていまして、

シカゴ(クラシカルの部で吹奏楽をやっていたもので)に始まり、

サンタナ(パーカッションの魅力に目覚めました)、

ソフト・マシーン、ハット・フィールド・アンド・ザ・ノース といったカンタベリー・ロック、

そしてピストルズやクラッシュといったパンクの王道から、PiL、スロッビング・グリッスル といった、オルタナティヴ・ノイズ・ロックへと経由していきます。

エスピンク・フロイドといった、ドラマチック・プログレは、現在進行形では聴いていませんでした。

そしていきなり、キング・クリムゾンです。

ただし、僕にとって関心のあるクリムゾンは、多くの正統派(?)クリムゾン・ファンが毛嫌いする、80年代以降の、ディシプリン・クリムゾンです。

スティック・ベースを操るトニー・レヴィンと、ニコニコと飛び跳ねながらもすんげーテクを披露するエイドリアン・ブリュー、そしてこちらも地味にクールにこれまた渋すぎ超人テクを披露するビル・ブラッフォード
そして彼ら、スーパー職人を従え、ステージの隅っこで座ったまま黙々と自分の書いたややこしいフレーズを演奏する、ロバート・フリップ

この4人が淡々と披露する、超禁欲的ミニマル・ミュージックサウンド
文学的なメッセージ性を極限まで排除し、有機的な音楽的情緒性もできる限りそぎ落とし、
演奏するという行為の極限の姿だけを呈示しようとする、その演奏。

70年代のドラマチック・プログレの代表格を期待した多くのクリムゾン・ファンが、この編成のクリムゾンの初来日公演の際に、大いに困惑し、あまりの退屈さに、演奏中にもかかわらず、トイレに殺到し大混雑したというエピソードは有名です。

でも僕は大好きだなぁ、このクリムゾン。

で、最近、YouTube でおもしろい動画を見つけました。
おもしろい、といっても、楽器を演奏しない人、楽譜に興味ない人には、全く面白くもなんともありませんので、よろしく。
どういう動画かといいますと、

Discipline のサウンドとともに、楽譜(5線譜およびギタータブ譜)を順次呈示するという動画です。

採譜方法に関していえば、リズム解釈とそれに基づく小節割は間違っているようですが、
おそらく、音高に関しては、ヴィデオ等でフリップたちの手元のアップは確認できますし、音として確認もできますので、正しいものでしょう。

この採譜、作曲やアレンジをやったことのある人、それから耳コピをする人には分かると思いますが、
その作業たるや、とんでもない労力を必要とするものです。

そして僕たちは、その手間に対して、基本的には一切の対価を支払うことなく、共有することができる、

これは、インターネットの最大の利点でしょうね。

このところ、SNS をはじめとする、ネットの負の側面にばかり注目する書き込みをしてましたが、
しかし、一部のマニアックな人びとによる、対価を求めない情報の提供に簡単にアクセスすることができる点は、
おおいに評価し、活用すべきでしょうね。

最近、僕の書いた論文が、とある社会活動家のネット上での発信において引用されていました。
引用方法も引用の文脈も適切なものであり、論者としては、うれしいものでした。

クリムゾンの件の動画ですが、

YouTube から King Crimson Discipline と検索していただくと、数件目でヒットします。

この頃、眠る前に必ず体を揺らしながらこの動画をチェックしています。