僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

魔都とねずみ男

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また、升添ネタです。
(ついに「さん」もとれました。)

20日の記者会見を見て、もう、こりゃあかんわ、と感じ、このネタを取り上げるのはもうやめようと思いました。
話になんないもんね~、政治と金の関係をクリアーにします、とかなんとか言って当選したオッサンが、
じぶんのお金の使い方については、正しいかどうかわかりませんので、
「第三者の厳しい目で見ていただく」ンだって。

このオッサン、これで全ての人を敵に回したっていうか、全ての人から「平成の最大のネタ男」として、末代まで馬鹿にされ続けることになったこと、分かってないのかな。
分かってないんやろうね。頭、よすぎて。

で、FBに「都民、何でこんなオッサン選んだんや」と書き込んだところ、直接のレスではなく、偶然ですが、
YAHOOに「都民にとってあの時の選挙の消去法による仕方のない選択であった」という書き込みがあり、なるほどと思いました。

確かに、その書き込みによれば、2年前の都知事選、僕が選挙権をもっていたとしても、ねずみ男に入れるしかないわ。
それくらい、他の候補は、色がつきすぎてました。

ンで、この悲劇、そして喜劇です。

大事な都民のお金のとんでもない無駄使いという意味では、むちゃくちゃ悲劇です。
そして、こんなんしかおれヘンのかいな~、という点では、東京都という喜劇です。

東京都という喜劇。

そもそも都民の代表って誰よ。
本来であれば、都民、すなわち、東京の住民の中で、みんなの困りごとの解決について、率先して調整役を引き受けますよっていう、篤志の持ち主がなるべき仕事のはずだよね。

それがいつの間にか、総理大臣とは違ったポジションから国政に対しても外交に対しても力を発揮できる不思議な権力となり、その選挙は多くの「裸の王様」候補が群がる、奇妙な政治ショーになってしまいました。

東京という、多くの地に足のつかない人びとが、妙な特権意識をもって暮らす街。
その代表だもん、まともな人が出てくる素地がそもそもないかも。

東京都庁を始めてみた時、正直、その造形的な威厳に感動しました。
そして同時に、そのような威厳に満ちた建築物を建てないと、この町の人びとのアイデンティティーは保たれないのかなとも思いました。

もう一度、繰り返します。
東京都という悲劇、そして東京都という喜劇。

ちなみに写真は、本文とは殆ど関係ありませんが、凱旋門から眺めた、パリの新都心、ラ・デファンス地域です。
パリでは、伝統的・文化的ゾーンと、行政・ビジネスゾーンの意識的なすみわけ政策をとっているようです。