僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

検証のできない仮定

あと3週間後には、復職する予定になっています。

発症以前よりも体は疲れやすいのですが、のんびりとしたリハビリの成果でしょう、少しづつですが、体力面は改善できていると思います。

ここ1週間ほど夕方に、家の前の坂道を繰り返し歩くサーキット・トレーニング(というほどの大げさなものではありませんが)をしています。
また、ひざの屈伸運動も、開始時に腕のサポートが必要ですが、できるようになってます。

先週、ライブ活動も復活できました。
家事を中心とした日常生活も、難なくこなしています。

おそらく、すっと仕事には戻れるでしょう。

1月から約半年、仕事から離れました。
定年退職まであと数年というところで、人生双六、「1回休み」をもらいました。
もしもの時の生活保障についても、経験しました。

そしてこの頃、退職後について、思いを巡らせることが増えてきています。

或いは、この人生全体について、ぼんやりと振り返る時間も増えてきています。

人生を振り返ると、いろいろな後悔や、検証のしようのない仮定が頭に思い浮かびます。

あの時、こうしていたらどうやったやろう、
何で、あんなことしたんやろう、
(逆に)何で、しなかったんやろう。

もちろん、どの考えも、今さらどうしようもないものばかりです。

でも、1回くらい、思いきり後悔してもいいのかもしれません。

僕の場合、後悔してしまう大きな人生の仮定は、二つありました。

一つは、書くべきではないとわかっていますが、連れ合いさんの選択に関する後悔です。

こどもも二人できました。
別に家庭が崩壊している訳ではありません。
でも
こどもたち二人とも、思春期真っ最中で、アル中の父親とは距離を取るようになっています。
そして彼女たちの母親は、(おそらくこれが1番の問題点ですが)僕とはかなり価値観の異なる人物です。
彼女は、僕の仕事の意味、社会的位置について、全く関心を払ってくれません。
何で、こんな女性と家庭を築いてしまったんだろう。
これが、検証のしようのない第1の仮定ですね。

第2の仮定は、職業選択に関する後悔です。

僕は、何故か美術関係の教育職に進み、その中で社会福祉に僕自身の勧めべき方向を見出しました。
そんなに間違ってはいなかったのかもしれません。
アートは好きですし、こどもも障害とともに暮らしている人びとも大好きです。
そして、実践的な活動と思想的な背景を結びつけるという作業も、僕の能力特性を生かしていると思います。

でも、なぜ、音楽の道を選択しなかったんだろう。

僕は音を聴き分ける耳については、相当な自信があります。
絶対音感はありません。
というよりも、絶対音感が音楽家にとって邪魔であることを知っており、相対音感には自信があります。
そして、専門的な訓練を全く受けていないにもかかわらず、ピアノの演奏を楽しんでいます。

本当に好きなことは、職業にすべきではなく、趣味として人生の潤いとして楽しんだ方がよいという考え方もあるでしょう。
僕もそうも思います。

でも、毎晩のようにニューヨークのライブハウスでバリバリに演奏している自分の姿を,妄想してしまいます、ええ歳こいて。

職業人としての終点を前にして、こんな妄想にうつつを抜かしているのは、まだ尻が青い証拠でしょうね。

身体能力や認知能力には明らかな衰えが否定できないのに、もうほとんど可能性のない妄想に身をやつしてしまう。

そして僕の場合、怖いのは、もしかすると可能性がわずかでも残されているのかもしれない、と考えてしまうことです。

人生、まだ迷っていいんやで。
人生、限りがあるんやから、大人の判断、しいや。

人生、やり直しのチャンスをもらいました。
あのまま飲酒を続けていたら、肝性脳症の結果、昏睡から死亡、或いは静脈瘤が破裂し寝たきりという、最悪の事態もあり得たらしい。

山盛りの後悔と、スプーン1杯にも満たない希望。

まだ悩んでもいいですか。いいですよね。

切りのない話題でした。
でも、またぐちぐち書き連ねることもありそうです。

ともあれ、皆さんも僕も、今日もご機嫌さん、LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフを。