僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

大事にするものは?

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パリの街角です。

縦列駐車の鬼テク、全開に見えます。

別にスラム街ではありません。ごく普通のパリの街角です。

さて、ここで考えてしまいます。フランス人の駐車テクニックは、全員、日本人を超えているのでしょうか。

多分、違いますよね。みんながみんな、何分も丁寧に切り返しを繰り返して、この公道占拠状態を作り出している訳ではないでしょう。

(ちなみに、僕の行ったことのあるヨーロッパの大都市の集合住宅密集地では、ほぼ同じような景色を見ることができます。駐車スペースの区割りとか割振りとか、どうなっているんやろね。)

と、言うことは、おそらく…

何度も少しずつ前後の車にごちごちと接触させながら、ぎっちぎちに詰め込んでいるんでしょうね。

よく言われることですが、車のバンパーは、本体に対する接触を防ぐものです。
したがって、パリジャンをはじめとするヨーロピアンたちの、「車、入れるために、軽く当てさせてもらいまっせ~」という態度は、真っ当なものでしょう。

でも、日本では、みんな目がつりあがるやろね。
「こら、おんどりゃ~、なに人の車、当てとんねん」と、おそらく十人中八人までが、朝飯からモダン焼きOK地域出身者になって、いきり立つことでしょう。

確かに車は大事な道具です。
決して安価な道具でもありません。
車の所有や保持に自己実現をかけている人たちを責めようとは思いません。

でも、クルマの大事さって外見がピカピカなことでしょうか。

クルマは走って何ぼの道具ですよね。
確実に走り、確実に止まる。
時にはある程度の高速走行状態を快適かつ安全に提供してくれ、長距離の運転に対しても、過度の疲労はもたらさない。
こんなあたりが、優れた道具としての車に求められる性能だと思うのです。

道具を大事にすることは、素晴らしいことでしょう。
でも、多くの日本人が、クルマという道具に対して、極めて偏った愛情のそそぎ方をしているように思えてなりません。

悲しいかな、このことの背景には、多くの日本人にとって住居環境が充分なものではないということがありそうです。
家が狭いので、せめて、第二の個室として車に心血を注ぐのかもしれません。

僕の29万キロカローラの外観は、それはないやろ、というくらい、ぼこぼこです。
でもきっと、エンジンのシリンダーの内面は、これ以上ない、鏡面状態が実現できていると思いますよ。

僕たち、アル症者たち、そして僕のように肝君をいじめてしまった不届き者たちは、
一層、自らの内側のメインテナンスを気遣わなければなりませんよね。

そういうわけで今日も、皆さん、そして僕も、ご機嫌さんで、LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフを。