僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

イベントレス社会

半年前までは、毎日焼酎にとっぷりと浸かっていました。
今はアルコールレスな生活を送ることができています、半年前の僕からは想像もできません。
少しずつ仕事に復活しています、ダブルパンチ・リスボン、57歳です。

さて、多額の出費をどぶに捨てることになった超最悪の政治ショー、「要一君の、誰からも信用されなくても地位にしがみつくもんね・ギネスに挑戦」のコーナーも、何とか着地点が見えてきそうな感じになってきました。

なんだったんだろうね、このイベント。

もちろん、末代まで恥をさらすことになった天下の大ばか者、升添要一なる人物の異常なまでの権威志向と、それを可能にするために大衆をバカにしているとしか思えない驚異の虚偽創作能力、これらについては、論じておくべきです。

でも、それだけだと、ホンマにただのワイドショーネタで終わってしまいます。

僕たちはこの異常な政治ショーから、やはりこれから考えるべきを課題を抽出するべきでしょう。

「地方行政とは何か」
「地方行政におけるリーダー、首長の役割は何か」
直接民主制のあり方について」

さらには

「世界的都市、東京の特性について」

もう一つ挙げるのであれば、

「なぜ、東京でオリンピック?」

といった、様ざまな宿題を引き出すことができると思います。

驚愕のチャレンジャー、要一君が13日の集中審議の最後の異例の発言でも触れていたように、今回の騒動、オリンピックという、世界規模での超巨大イベント抜きに考えることはできませんよね。

おそらく、チャレンジャーが見苦しい、人を小ばかにしたような嘘を重ねてまでもしがみついたのは、単なる都知事という役割ではなく、東京オリンピックという歴史的イベントが開催される都市の首長としての都知事でしょう。

いうまでもなく、もはやオリンピックは単なるスポーツイベントではありません。
ロス五輪以降、オリンピックはスポーツイベントでありながら、
とてつもない経済効果を伴う(正の場合と負の場合があることに注意!)、超巨大な政治ショーでもあります。
というよりも、

マチュア・スポーツの商業化
神から存在が許されているはずの人体に対する冒涜的改造
市民の日常の営みを無理やり中断させる暴力的な社会的強制

といった現象を伴う、異常な社会的イベントです。

特に、日常性の強制的強奪という側面には、注意すべきでしょう。

僕たちの社会は、何か目につくような、人びとの話題に上るようなイベントが常にないと、回らないのでしょうか。
仮に大都市が、そのようなイベント性を日常的に伴う空間であると考えるのであれば、そこに窺えるのは、強制的に時間の進行を圧縮させる非人間的な時空間です。

おそらく、生き物としてのそれぞれの個々の人間に可能な時間と空間の処理能力には限界があると思われます。
大都市は、過密な情報ネットワークと過密な交通手段、そしてさらに過密な行動空間によって、人びとにその限界を飛び越えるようにそそのかす、巨大な実験装置なのかもしれません。

イベントレスな落ち着いた日常、そんなものは大都市にはもともと期待できないものかもしれません。

そのような異常な大規模実験装置、その代表格であるTOKYO のリーダー、まともなパーソナリティーでは務まらないのかもしれませんね。

巨大イベントと大都市

大きなテーマです。

また考えてみたいと思います。

で、いつものように

皆さん、そして僕も、今日もご機嫌さんで LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフの継続を。