僕の職業は、障害者福祉とその理論、そして造形芸術に関する実践と理論を結びつけることを大きなテーマとしています。
ですので、履歴書的なキャリアからは、僕は造形芸術の業界に属するものとして、見做されることになります。
ですので、履歴書的なキャリアからは、僕は造形芸術の業界に属するものとして、見做されることになります。
(別に誰に文句を言われている訳でもないのですが、何故かこのことを考え始めると、口がとんがってまいります。)
かつてプロとして生計を立てていた立場から言うのですが、ジャズにしてもポップスにしても、妙にテクニックがあるが故に、すれっからしになってしまったミュージシャンよりは、正職につきながら楽しみとして音楽に取り組んでいるミュージシャンの方が、音楽に対する気持ちが信頼できるように思っています。
リスナーとしての僕は、相当に偏屈な音楽愛好家です。
まずほとんど、音楽を聴きません。
たまに聴くにしても、聞き流すという聴き方は耐え難い。
聴くのであれば、集中します。
たまに聴くにしても、聞き流すという聴き方は耐え難い。
聴くのであれば、集中します。
そして聴くジャンルが極めて偏っています。
クラシックか、ジャズ。
クラシックも、基本的にはバッハ以前か、シェーンベルグ以降か。
つまりバロック音楽を中心とした古楽か、調性が崩壊した近代から現代にかけての音楽かの、どちらかです。
クラシックか、ジャズ。
クラシックも、基本的にはバッハ以前か、シェーンベルグ以降か。
つまりバロック音楽を中心とした古楽か、調性が崩壊した近代から現代にかけての音楽かの、どちらかです。
クラシック音楽の王道(?)ともいうべき、ロマン派の音楽が含まれないのです。
(とはいっても、チャイコフスキーは大好きですが。)
をおいて他にはいません。
そしてモーツアルトは、その短い生涯の中で、調性音楽の情緒的可能性について、超越的なレベル、人間の域を超えたレベルまでをも、呈示しました。
極端な言い方をすれば、調性音楽の純粋な音楽的可能性は、モーツアルトによって非人間的なレベルまできわめられてしまったのです。
ベートーヴェンは、音楽を人生を表現するメディアに変えて、その可能性を追求しました。
ベートーヴェン以降の作曲家たちの交響曲の数が激減するのも、大規模な室内楽としての交響曲から、人生や世界を語る音楽としての交響曲へと、変質していったからです。
ベートーヴェン以降の作曲家たちの交響曲の数が激減するのも、大規模な室内楽としての交響曲から、人生や世界を語る音楽としての交響曲へと、変質していったからです。
僕の大好きなバッハとはまた違った意味で、とんでもない奴です。
今日も、皆さん、そして僕もご機嫌さんで、LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフを。