僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

君が代

アル症と肝硬変、ダブルパンチと仲良く格闘中、リスボン、57歳です。

本日も、リスボンのわがままブログ、ご訪問、ありがとうございます。


さて、今日のブログですが、タイトルについては少し考えました。
本当は、特定の個人を徹底的にバカにするタイトルをつけようと思っていましたが、
ブログ、或いはインターネットという、公共空間での発言であることを考え、たとえ、過激なことを述べるにしても、せめてP音(ピー音)くらいは入れる卑怯さを取り入れるべきだなと考え、やや、当たり障りのないタイトルにしました。

さて、本音でつけたかったタイトルを、P音付きで書きますと、

「元首相のナメクジ脳みそ発言、『君が代を堂々と歌えない選手は日本代表を名乗るな』」

というものです。

元首相とは、森元総理大臣です。
彼がオリンピック日本代表選手壮行会の中で、君が代について、国家を堂々と歌わない選手は、日本代表としての資格がない、という発言をしたそうです。


この事態から僕は二つの問題点を思い浮かべました。

一つ目。
やっぱ、東京オリンピック、最初からミソがつきすぎてたよな、という感想。
エンブレムの盗作疑惑、
新国立競技場の設計のつまずき、
そして、時期開催都市である東京の、「絶対やめないもんね、要一君のギネスに挑戦」問題。

東京オリンピック、無理しなくていいんじゃないっすか。
今さら、東京でバブリーな感覚の国際イベント、住民の負担増以外に何も残さないでしょ。
もし、東京でやるとするならば、(っていうよりも、やることになっているらしいけど)ロス五輪以降、異常なまでに商業的に肥大化したオリンピックというイベント、本来の、スポーツというメディアを通して、人類の限界を仲良く確かめることで、国際親善の場にしようという原点に、立ち返ってもいいんじゃないかな、今さらだけど。

森さんが東京オリンピック開催の責任者の一人であることから、こういう、新しい発想は受け入れられないんだろうね。
だいたい、スポーツマン、或いは体育教育関係者出身の文教族政治家って、頭が筋肉なんだよね。
カッチカチで、絶対に自らが従ってきた価値観の返還は受け入れない。
そしてその頑固さが、誠実さであると勘違いしている。
そしても1つめんどくさいのが、確かに日本の村社会の中に、
この道一筋滅私奉公(と見せかけた自利行為)をよしとする伝統的な感覚が根強いこともあるよね。

あ~、メンドくせぇ。

そして二つ目。

これは重たい問題です。
君が代は僕たちの国歌なのか。

(法的な根拠はないそうです。)
(と書いて投稿してしまいましたが、平成11年に法制化されいるというご指摘をいただきましたので、この1行は訂正します。)
平成11年に法制化されたことをきっかけに、
地滑り的に日の丸が国旗、君が代が国歌に落ち着いてきているようです。
しかし、法律的な問題と感覚的な問題、両方のバランスが取れているかどうかは疑問ですよね。

でも君が代、もう一度、歌詞を読もうよ。

『私たちの天皇陛下の治世の世がとこしえに続きますように』

という読み方以外には読めませんよね。

象徴天皇の立場は確かに、現在の憲法のもとで変わりました。
かつてのような、君主ではありません。
あくまで国民統合の象徴です。

でも、現状の日本の放置の状態の中では、天皇陛下の置かれている特別な立場は、非常に難しい問題を投げかけてきます。
一番大きな問題点は、たとえ少数とはいえ、天皇陛下をはじめとする皇族に対する逆差別を容認している点に認められます。

僕は、今の天皇陛下、ならびに皇后陛下に対しては、非常に強い尊敬の心を禁じ得ません。
象徴天皇としての公務を、確実に、しかも国民の目線を非常に大事になされたうえで、こなされるそのお姿、
特に、災害が続いている最近の社会状況の中で、困難に立ち向かう国民に対して、やさしさに満ちたお姿でお接しになってらっしゃる現在のご公務に対するモラリティーの比類なき高さ。

そのようなおつらい立場をこなされている両陛下の下で、天皇陛下を、国民をおかしな方向に束ねてしまうことに利用してしまう可能性のある歌詞の根拠として、引き合いに出してよいのでしょうか。

そして、やはりこの君が代という歌詞、この歌詞が戦前の日本の多くの良民の行動を間違わせてしまったという歴史、この事実から目を背けるわけにはいきません。

筋肉脳みそしか持たない連中は、疑問を持たずに厳しい訓練に耐え忍んでこそ素晴らしい成果が得られるという、ある一部の才能のみが対応し得る価値観を、金科玉条のごとく、錦の御旗に掲げて発言し、行動します。

君が代はすでに国家として国民の意識に定着している、もしそうであるとするのであれば、僕たちは考えることを止めています。
筋肉パフォーマンスは、人間の能力の素晴らしい可能性の一つです。
でも、僕たちの脳みそは、筋肉だけでできてはいません。
多くの仲間は、エリート筋肉をもっていません。
しかし、僕たちには考える権利と義務があります。
たとえ、IQが低くても考える権利と義務があるのです。

そのもっとも根本的な部分を理解しない、森喜朗元首相、東京オリンピックパラリンピック組織委員会会長、辞めてください。
あんた、升添なみにまずいっす。

僕は、日本国籍を取得して20年近くたちますが、未だにあの歌を歌うことはできません。


すみません、エライ、政治的な内容で。
でも、新聞を読んでいたら、もういてもたってもいられなくなって。

冷静に怒りつつ、
皆さんも僕も、今日もご機嫌さんで、LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続しましょう。