僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

小さなストレス

夏だ!断酒だ!青春だ!
アル症、肝硬変、二人のお友達と三人四脚、一度死んだ以上は(あ、2度かもしれん)生き延びてやるぞ、リスボン、57歳です。
ノープラン独り言ブログ「アル中男子の断酒の日記(にき)」、ご訪問ありがとうございます。


これまで比較的、ストレスの少ない生活を送ってきたつもりでした。

仕事は遊び半分とは言いませんが、自らの可能性を活かせていると思いますし、若い諸君との関わり合いは、ホンマに、「君たちの若さ、吸い取ってやるぞ」ではないけれど、正直、若返らせてもらっていると思います。

通勤もマイカーで、大学まで信号が2か所という、それ、日本でありかぇ、という奇跡的なイージードライヴィング。

勤務と勤務外の境目がほとんどありませんので、1年中夏休みでもあり、24時間、年中無休でもあります。

でも、生活の中のストレスって、あったんですね。
僕がアル症になったきっかけは、多分、ストレスの解消ではなかったと思います。
でも、昨日のちょっとしたストレスは、もしかすると、本質的な問題の一端なのかもしれません。


昨日、パートナーはパート仕事が休みのため、朝から家事をこなしていました。
僕は、仕事としては、採点と書類整理と書類制作であったため、9時半までは自宅にいました。
そして、いつものように、ブログを書いていました。

「何してるん?」とパートナー。
「ブログ、書いているけど」と僕。
「ブログ? 少しは家の仕事してよ、草むしり、そうじ、XXXX、XXXX、、、、」と、声を荒げるパートナー。

ここで僕は彼女に、毎日の断酒ブログの更新や先輩ブログのチェックが、僕たちアル症者にとって、一つの命の綱になっていることを説明するべきだったのでしょうが、朝からそんな重たい発言は、しんどく思われ、無視しました。

僕はいろいろ考えた末、断酒会やAAには参加せず、断酒ブログを通じた連帯という形での、生き残り戦略を選択しました。
僕たちアル症者が、独力では立ち直ることが難しいことは、専門家や社会復帰に本気の当事者には、よく知られていることです。
僕もブログには助けられています。
そして僕は僕のブログを僕自身の立ち直りのために書いていますが、もしも誰か同志の役に立つようなことがあれば、ムチャムチャうれしいです。

僕はこういったことをパートナーに説明すべきでしたでしょう。
でも、前にも書きましたが、彼女は僕の価値観を無視することにある意味でアイデンティティーの保持を諮っている節があります。
そんな彼女に、そして世間のことを殆ど知らないくせに知っているつもりになっている彼女に、異星人になってしまった僕のことをどれだけ説明してわかってもらえるのか。
僕は、卑怯でしょうが、諦めています。

離婚すればいいんでしょうが、お互いそうはできない、或いはしないという打算に縛られています。

考えてみれば、僕たち夫婦は、いつからか、こんな風に、お互いの価値観の構造が食い違っていました。
僕がアル症を認定される以前からです。

僕のストレスは、やはり、パートナーとの価値観という精神的な擦れ違い、分かり合えなさにあったようです。

このことをアル症の全ての理由にするつもりはありません。
今では想像もできないくらいに変わってしまいましたが、僕は、ホンマに酒が好きでした。
酒のためなら、検挙されない範囲での、そして人に迷惑を絶対にかけないという自信の下で、違法行為も行ってきました。
したがって、パートナーとの精神的な確執は、あくまで理由の一端でしかないと考えています。

でも、いちばん近い、って一番理解できない、っていうことと裏表なんですよね。
多分、パートナーに言わせれば、僕の行動の一から十までが気に障る、自らの価値観からは理解しがたいものに見えているんでしょう。
夫婦は、最も近くに見える、一番遠くにいる人です。


さ、愚痴はここまでにして、あと何本か書類を作成して、本日の出張先、龍谷大学に向かいましょう。


毎日繰り返します、皆さん、そして僕も、ビールの誘惑には打ち勝ちましょう、今日もご機嫌さんで
LWOA Life Without Alcohol 断酒生活を楽しく続けましょう。