夏、皆さん、あの琥珀色のてっぺんに白い泡を纏った悪魔の飲料から、身を守れていますか。
アル症、肝硬変のダブルパンチ、プラス勝手に体重制限のセルフトリプルパンチとお友達、リスボン、57歳。
テレビの中で、この一杯がたまらないのよね、なんてやられるとたまりませんが、がんばれてます。
アル症、肝硬変のダブルパンチ、プラス勝手に体重制限のセルフトリプルパンチとお友達、リスボン、57歳。
テレビの中で、この一杯がたまらないのよね、なんてやられるとたまりませんが、がんばれてます。
わがままノープランひとりごとブログ、いつもご訪問ありがとうございます。
以前にも記しましたが、僕はどうやらこれまで2度、死に損なったようです。
2度目は、今年1月の肝硬変による入院です。
もちろん、危篤状態に陥った訳ではありません。
もちろん、危篤状態に陥った訳ではありません。
しかし、強制入院のタイミングがもう少し遅れていたら、
肝性脳症の進行に要る昏睡状態
静脈瘤破裂による内臓疾患
静脈瘤破裂による内臓疾患
のどちらかに襲われていた可能性があったようです。
そして20年近く前に訪れた最初の僕の死は、身体的な死ではなく、社会的な死でした。
その死から僕は、表面上は復活したかに見えます。
しかし今でも、その時の恐怖は、ふとしたことから顔をもたげます。
しかし今でも、その時の恐怖は、ふとしたことから顔をもたげます。
そして一度顔をもたげたそいつは、僕を被害妄想という、少しばかり面倒な精神状態に追い込みます。
一度目覚めた被害妄想は、僕に対する外界からの刺激全ての意味を変えてしまいます。
僕はかつては、表面的には強い人間でした。
酒に関していえば、どれだけガンマが高くなろうが、飲んでも飲んでも体は壊れません。
(実際には、ゆっくりと壊れていたんですけど。)
精神的にも、ありとあらゆるものを楽観的に捉えることができる、厚かましさがありました。
酒に関していえば、どれだけガンマが高くなろうが、飲んでも飲んでも体は壊れません。
(実際には、ゆっくりと壊れていたんですけど。)
精神的にも、ありとあらゆるものを楽観的に捉えることができる、厚かましさがありました。
そんな厚かましい奴が、障害者(いろいろな意味での)に、特に知的障害者に出会い、
彼女/彼らの存在に興味を抱き、
彼女/彼らと社会の共生についてアートの文脈から何か出来はしまいかと考え、
現在の研究活動に至っています。
彼女/彼らの存在に興味を抱き、
彼女/彼らと社会の共生についてアートの文脈から何か出来はしまいかと考え、
現在の研究活動に至っています。
しかし、たとえ表面的とはいえ、健康で厚かましい奴には、この考察作業に必要な精神的な心構えが一つ欠けていました。
それが、当事者の立場に立つ、という、基本的な態度です。
そして、当事者の苦しみ、「痛み」に思いを馳せるという、根本的な配慮です。
そして、当事者の苦しみ、「痛み」に思いを馳せるという、根本的な配慮です。
この心構えを獲得していない場合、研究はマクロのレベルからの広がりや深まりをもち得ません。
つまり、大上段から全体の構造を眺めるという態度しか取り得ないのです。
つまり、大上段から全体の構造を眺めるという態度しか取り得ないのです。
僕はこの度(?)、アル症者としての診断を受け、精神科の患者としてのアイデンティティーを獲得しました。
そしてそのことにより、自らの心のあり方について、以前よりも深く見つめることができるようになりました。
また1回目の社会的な死某に端を発する被害妄想状況についても、他人には決して共有してもらえない不安を伴うものであるということが、自覚できるようになりました。
そしてそのことにより、自らの心のあり方について、以前よりも深く見つめることができるようになりました。
また1回目の社会的な死某に端を発する被害妄想状況についても、他人には決して共有してもらえない不安を伴うものであるということが、自覚できるようになりました。
僕たち、アル症者が、障害学の対象として当事者にあたるかどうかは、まだ不明です。
しかし、アル症者当事者であり、研究者であるという現在の僕の置かれている社会的状態を受け入れ、何らかの発言ができるのではないか、と考えています。
しかし、アル症者当事者であり、研究者であるという現在の僕の置かれている社会的状態を受け入れ、何らかの発言ができるのではないか、と考えています。
アル症に対する世間の目は、決してやさしくはないでしょう。
これらの非難は真っ当なものでしょう。
しかしアル症は、個人の精神的な弱さに全てを期すことができる問題でしょうか。
今の僕には、当面の見通しすら立っていません。
ただ、たまたま研究という営為に従事する人生に恵まれ、精神的な疾患の当事者としての生活を送るようになった、
このことに何かの意味を見出してみたいと、思っています。
ただ、たまたま研究という営為に従事する人生に恵まれ、精神的な疾患の当事者としての生活を送るようになった、
このことに何かの意味を見出してみたいと、思っています。
まずは、僕自身の経験している「痛み」を、文章というデータに変換していきます。
そしてそのデータをどのように社会化していくか、考えてみたいと望んでいます。
そしてそのデータをどのように社会化していくか、考えてみたいと望んでいます。
研究者というのは、なんでも飯のタネにしてしまおうという、厚かましさをもった、めんどくさい人種です。
僕のめんどくさい野望が誰かの役に立つかどうかは分かりません。
でも、僕は何度でも救われたい。
厚かましくも、救われたいし、今では死にたくない。
僕のめんどくさい野望が誰かの役に立つかどうかは分かりません。
でも、僕は何度でも救われたい。
厚かましくも、救われたいし、今では死にたくない。
もっと楽に書こうと思っていたのですが、何か、とんでもない決意表明になってしまいました。
皆さん、まずは今日を生き抜きましょう。
そのためにも今日も皆さん、そして僕もご機嫌さんで、
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、続けましょう。
そのためにも今日も皆さん、そして僕もご機嫌さんで、
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、続けましょう。