僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

再飲酒の欲求

アル症と肝硬変、ダブルパンチと仲良く格闘中、リスボン、男57歳、もうすぐ断酒ライフ、半年です。
わがままリスボンのわがままノープラン独り言ブログ、本日もご訪問ありがとうございます。


おかげさまをもちまして、耐え難い再飲酒欲求に襲われることはありません。
このまま、こんな生活が10年、20年と続いて、ぽろっと死ねたらいいな、と思っています。

でも、耐え難い飲酒欲求には会いませんが、こんな日に飲んだら美味いだろうな、ホッとするだろうな、と考えてしまう瞬間はあります。

現在の僕の場合、嫌なことがあった場合というよりも、今日は充分に仕事ができたなぁ、或いは、素晴らしい出会いがあったなぁ、
といった、ムッチャむちゃ、ポジティブに1日を振り返ることができる時に、ふと、酒が飲みたくなります。

そんなときの飲酒欲求は、程度としてはそれほどどうということはないし、また大概、運転中に感じることが多いので、それほどのストレスを感じることなく、抹殺できています。

ただ、その飲酒欲求抹殺の際に、多くの断酒ブログの先輩方の、スリップの経験に対する述懐が、大きな役割を果たしています。
僕たちアル症者は、スリップすれば間違いなく、あの苦しみを再体験するのです。

僕自身がスリップしないために、あえて、予想されるスリップの経過を考えてみましょう。

ステップ1
今日は、有意義なイヴェントに参加することができた、素晴らしい出会いがあったし、実りの多い議論もできた。
こんな日は、気温も高かったことだし、ビールの1杯くらいはいいだろう。

ステップ2
ビール、一口目は、のど越しだけ、決して美味しい飲み物ではない。二口目、そうそう、この苦さが美味しかったのよね。
などと感じながら、1杯が2杯へ、そして3杯へ。

ステップ3
ビール、炭酸ばかりだし、やっぱり焼酎でしょ。
焼酎、まずは水割りで、うめぇ。
杯を重ねるにつれ、濃くなり、やがてはストレートへ。

ステップ4
この日は、このまま無事、ベッドに入ります。

ステップ5
翌日。やっちまったなぁ、ブログにも正直に報告しよう。

ステップ6(恐怖の始まり)
夕方。もう1日くらい、いいよね。

ステップ7
気絶型爆睡。

ステップ8
翌日。昼間は大丈夫、でも夕方は、罪悪感に苛まれながら、すでにアル症の自覚よりも飲酒欲求の方が、勝利を収めます。

ステップ9
8番目のステップが恒常化し、やがては、あの恐怖の朝飲みが・・・・

ステップ10
掌が赤くなり、おなかに水が溜まりだし、羽ばたき震戦が現れ、文字が書けなくなり、排便に異常が現れ・・・

ステップ11
消化器科に救急搬送、久しぶりに会った担当医や看護師たちからさげすみの目で見られ、入院生活へ…

・・・・・・・

という具合でしょうか。
つまり、僕たちアル症者は、ちょっとの飲酒が間違いなく、破滅的飲酒につながるのです。
ちょっとの飲酒から破滅までの時間は、それぞれで異なるでしょうが、先輩方のブログからは、その時間は思ったよりも短く、
そして迎える地獄は、始めてよりも2度目、3度目と、地獄の様相を深めるようです。

2度目の入院からは、社会的な制裁も受けることになるでしょう。
失職のおそれもあります。

1回目の入院の際には、職場の保険の手厚い保障に驚きましたが、その保証も徐々に有利さを失っていくものと思われます。

つまり僕たちアル症者にとって再飲酒は、間違いなく「死」を意味しています。
肉体的「死」も早まりますし、それ以上に社会的「死」が加速度的に襲ってくることでしょう。



こんなネガティブな思考を日常的につづけようとは思いません。
しかし、ふと再飲酒欲求が芽生えた時に、その向こう側に地獄が待っているという思考回路、その思考回路へのスイッチは、隠さないでおこうと思います。


重たい話になってしまいました。

でも僕たちアル症者にも、生きる希望と意味があります。
希望と意味、そして喜びのためにも、今日も皆さん、そして僕も、ご機嫌さんで、
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、元気に継続しましょう。