僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

カジノ解禁法

静かな冬の朝、また旅に出たいなと思うアル症、肝硬変おじさん、リスボン、58歳。
かましくも今日も元気です。

リスボンの自分勝手・ノープラン・ブログ、本日もご訪問ありがとうございます。


昨日(12月2日)、IR推進法案の柱の一つ、カジノ解禁法案が、
あっという間に衆議院内閣委員会で可決されたらしいです。

もちろん、国会内部のみならず、各界から反対の声が上がっています。

兎にも角にも、今の自民党政権、これはという法案は、あっちゅう間に成立させてしまうんですね、数の暴力を背景に。

「しっかりと国民の皆様に説明させていただきます。」
この大うそつき総理大臣、なんとかしなあかんで、ほんまに。

なんで、何ともならんねやろう?

アメリカだけではなく、日本の民主主義も、大衆迎合衆愚政治の中で崩壊していくんかな?

俺たち、教育者の責任も大きいよね。


さて「カジノ解禁法案」。

反対する人びとがまず理由としてあげるのは、
ギャンブル依存症の蔓延の危険性です。

ギャンブル依存症、特にパチンコ・パチスロ依存症は、アルコール依存症と並んで、
その地獄の入口が世間のあちらこちらで口を開けているという点において、
日本のように、中途半端な経済階層が多い国では、危険な社会的疾病ですよね。

僕は幸いにもギャンブル依存症には至っていませんが、
若い頃にその入口を垣間見た経験はあります。

僕の場合はパチスロでした。
今で言うところの、立ち回りという技術でもって、ある程度の収益を上げていました。
もっとも、飲み代くらいのものですけど。

ところが、立ち回りがうまくいかない時もあります。
そして、1日の負け額が10万円を超えた時点で、勝つための理性的判断も、負けを最小限で止めるための理性的判断も、完全に何処かに行ってしまいます。
打ち続けなければならない、打ち続けるしかない、脳みその中は、この判断力ゼロの呪文で占められてしまいます。

幸いにも、ほんまに幸いにも、そこまでのひどい経験は1回だけしかしていません。

そして正職に就き、時間的な制約やパチンコやパチスロのゲーム性の変化から、自然とパチ屋から足が遠のいていきました。

でも、あの経験、負けがこみすぎて理性的な判断力を一時的に全面的に失ってしまう経験に、さらに苛まれる機会が続いたとしたら、僕も依存症に至っていた可能性はありそうです。

パチンコやパチスロは、酒と一緒で、あまりにもアクセスが簡単すぎます。
どんな地方に行っても、パチ屋はありますし、コンビニでは酒が販売されています。
この気楽さは、IR推進法案やカジノ解禁法案について云々する前に、問題にすべきですよね。

この国では賭博行為は禁止のはずです。

でも公営ギャンブルがあります。
しかも競馬のビッグレースは、立派なニュースネタでもあります。
パチンコやパチスロが、一般の景品を争う遊戯ではないことは、中学生くらいであれば、ほとんで知っている公然の(?)秘密ですよね。

カジノ解禁法は、この点において、我が国の根本的な矛盾を無視した形でしか成立し得ないのです。

僕は、カジノ解禁法によってギャンブル依存症の被害者が爆発的に増えることはないのではないかと予想しています。

何と言っても、カジノの置かれる統合型リゾートは、日常的な空間ではないはずですよね。
ジャージにサンダル履きでは入室できないでしょう。

ですから外国人観光客や日本のあくどい個人資産家から金を奪う算段は、大いにしたらよろし。

しかし、今回の拙速な政治判断には、単なる景気浮揚策に留まらない、危険な匂いがしますね。

パチンコ業界は、必ずやかつての濡れ手に粟の栄光を夢見ているはずです。
特に、機器メーカー各社。

ここは気にしたいかな。

まだまだ考えるべきことはありそうですが、また衆議院本会議通過の際にも考えてみましょう。

当事者としての声をあげるために、皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで、
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。