僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

(続)カジノ解禁法 パチンコと比較しながら

時々、飲まない人生は寂しいぞと、悪魔のつぶやきが聞こえてきます、アル症、肝硬変、リスボン、58歳。もちろん、負けませんよ。

本日もリスボンの、無遠慮・ノープラン・ブログ、ご訪問、ありがとうございます。

昨日もカジノ解禁法について書きましたが、今日も少し続きを。

と言いますのも、今朝のテレビ番組で、専門家の興味ふかい見解を聞いて、なるほどなと思ったからです。

今国会IR推進法カジノ解禁法については、
そのあまりにも拙速な国会審議のあり方や、
ギャンブル依存症の蔓延の可能性について、
メディアや関係者からの発言が続いています。

でも、政権与党が(そしてどっかの地方政党が調子こきながら追随して賛成に回っていますが)進めようとしている一番大きな動機は、
景気浮揚策としてとしての提案のはずです。

しかしその専門家は、
ギャンブル振興による経済対策はその効果が長続きせず、
やがてはその地方の経済が弱体化し枯渇していく結果を生み出すというのです。

確かに卓見だなと思いました。

ギャンブルがなんらかの再生産のサイクルの一部として組み込まれているのであれば、
うまくいくかもしれません。
しかし、今回の法案提出には、長期的な経済戦略の裏付けは全くないと言って良さそうです。

経済対策の後押しのない、あるいは、経済的な余力の伴わないギャンブルがいかに脆いものであるかは、
今日のパチンコ産業不況に現れています。

かつてパチンコは、庶民のギャンブルの花形でした。
花形だった頃のパチンコやパチスロは、
生産性を保証された庶民があくまで自らの生産性の枠内で保証できる範囲での賭け事にとどまっていました。
したがって、遊びとしての楽しみの範囲を逸脱せず、たまにお小遣い稼ぎが伴う、遊戯性の保証されたギャンブルであり、多くの人々の楽しみとして社会的な享受を確実なものにしていたのです。

僕は今ではほとんど手を出さないので、細かいことはわかりませんが、
どうやら今日のパチンコやパチスロは、結果としての実質的なレートが高いようです。
レートの相対的な高さゆえ、そしてそのゲーム性の変化ゆえ、
1日、あるいは半日を、個人のお小遣いの許す範囲でのんびり遊ぼうかなというようなアクセスは、不可能なようです。

普通に仕事をしている人の休日のリクリエーションではなくなっているのですね。

おそらく、日本人の生活文化に根ざすことはないであろう、カジノも、
同様の悲惨な結果を招来することでしょう。

一時、韓国で話題になった、カジノ・ホームレスを生み出すことにもつながりかねません。

個人が依存症になるよりも、地方経済が依存症になる危険の方が高いようです。

依存症進行形の僕たちも、勇気を持ってその危険性について語っても良いと思います。

僕たちにも社会的役割がありそうです。
(ちょっと大げさかもしれませんが)そのためにも皆さんも僕も、今日も明日も、謙虚にかつ厚かましくご機嫌さんで
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。