本日もリスボンの、自分勝手・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
おかげさまで、生理的な感覚としての飲酒欲求が起こることはほとんどなくなりました。
ただ、料理に関する情報に触れたときには、
飲みながら食べるのは楽しかったよな、美味しかったよな、
という感想がよみがえります。
飲みながら食べるのは楽しかったよな、美味しかったよな、
という感想がよみがえります。
でも、飲まずに食べても美味しいし楽しいことは、この1年近くの経験の中で学習しましたし、
これからも素敵な時間を経験することができるでしょう。
これからも素敵な時間を経験することができるでしょう。
さて、時々、振り返りたくなります。
なぜ、あんなに飲んでいたんだろう、と。
なぜ、あんなに飲んでいたんだろう、と。
昨年の今頃は、たぶん、最悪でした。
朝、仕事前に一杯、研究室で一杯、帰りがけのスーパーで缶○○○ハイを1杯、そして帰宅すれば、寝るまでエンドレス・ドリンク。
そりゃ、指は震えるわな。
でも今考えると、なぜだったんだろう、と思います。
あの時は飲みたかったから飲んでたんだよね、
でも、その飲みたいという気持ちを再体験することができません。
でも、その飲みたいという気持ちを再体験することができません。
これまでも確認しましたが、やっぱり、依存症になっていたから、
脳君から、飲むべし、飲むべしという指令が、一日中出ていたんですね。
脳君から、飲むべし、飲むべしという指令が、一日中出ていたんですね。
いつからそうやったんやろう。
朝のみが普通になった時からかな。
それとも、たまに昼間に飲み始めた時やろか。
それとも、たまに昼間に飲み始めた時やろか。
でも、もしかすると、僕は20代で依存症になっていたような気がします。
すでにそのころ、日が暮れた後に酒を飲まない生活は考えられなかったからです。
断酒生活も1年近く経過しますと、飲まない生活が当たり前になります。
酒を飲むことは、日常的なことではなく、ちょっとしたハレの場、ハレの時間の少しだけ特別なことなんですね。
酒を飲むことは、日常的なことではなく、ちょっとしたハレの場、ハレの時間の少しだけ特別なことなんですね。
でも若いころからリスボンは、一日の終わりには当然、酒を飲むものだということを、全く疑っていませんでした。
他人のことはいざ知らず、自分にとって酒のない人生を考えることはできませんでした、すでに20代のころに。
他人のことはいざ知らず、自分にとって酒のない人生を考えることはできませんでした、すでに20代のころに。
もちろん、若い頃の僕は、ただの大酒のみにすぎません。
幸いにも酒乱ではありませんでした。
音楽を聴きながら一人で飲み、たまに仲間と飲むときは、普通にはしゃいでいました。
幸いにも酒乱ではありませんでした。
音楽を聴きながら一人で飲み、たまに仲間と飲むときは、普通にはしゃいでいました。
もし僕が若いころから依存症であったとしたら、酒、なかなか恐ろしい薬物ですよね。
僕の問題飲酒は、60手前で健康破壊という形で現れました。
でも、問題飲酒が顕現する以前からおそらく依存症だったようです。
でも、問題飲酒が顕現する以前からおそらく依存症だったようです。
他の法に触れる薬物と異なり、個人による反応があまりに多様であるがゆえに、
酒を薬物として考えることは一般的ではありません。
酒を薬物として考えることは一般的ではありません。
でも、僕たちは間違いなく、生き証人ですよね。
生き証人としての役割があると思います。
そのためにも。
そのためにも。