僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

一人飲みとチームプレイ

まだまだ寒いとは書きません、面倒くさい初期高齢者リスボン、58歳。

本日もリスボンの、自己分析?ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


昨日は、一人飲みがアルコール依存症の形成につながる危険について書きました。

一人飲みがアル症を導くのか、アル症ゆえに一人飲みを楽しむのかは定かではありませんが、
どうやら世間一般の嗜好としては、酒はみんなで楽しく飲むもののようです。

僕は飲酒歴の相当早い時期から一人飲みを楽しんでいたのですが、
もちろんこれは、潜在的アル症が原因の一つであったことは間違いないでしょう。

しかしそれと同時に、
僕がもともと、集団行動が嫌いであったということも関係ありそうです。

スポーツの好みでもそうです。

僕の世代の男の子の大半は、幼いころは野球に親しむのが普通でした。

僕はどうやら肩の骨のつき方が少しばかり普通の男子と違うようで、ボールを投げるという動作がとても苦手でした。
そのせいもあり、野球やソフトボールという、僕たちの世代にとって必修科目であったスポーツにはどうしてもなじめませんでした。

中学時代から吹奏楽部に入り、本格的に音楽を楽しむようになるのですが、
まだ吹奏楽では、一つ一つのパートの役割の重要さが理解できるので、
僕は僕のやるべきことを一生懸命、務めていました。

ところが中学3年生の頃から、ピアノの面白さにはまってしまい、
集団の力に頼らなくとも音楽が作れることに目覚めてしまいました。
ちなみにピアノは独学です。

高校から大学にかけては、さまざまなタイプの音楽アンサンブルを経験しましたが、
やはり、あまり大規模な編成のものよりも、
一人ひとりの役割が明確にわかる、小編成の合奏のほうが好きでした。

どうも僕の中には、
みんなと同じことをしなければならないのであれば、別にその役目は俺じゃなくてもいいじゃん!
という不遜極まりないうぬぼれがあったようです。

その他大勢の中で埋もれてしまうということが、たまらなく嫌なことだったようです。

おそらく今でもこのあまのじゃく精神は、僕の基本的な行動原理になっているでしょうね。

考えようによっては、僕は現代の社会人にとって必須の能力を欠いているのかもしれません。

全体に従うべしという秩序を優先する集団行動、このことの大切さを理解しない僕はどうやら、
あまりよくない意味での極端な個人主義者だったようです。

お酒も、みんなでワイワイというのが楽しいというのが分かっているのですが、
集団からちょっとだけはぐれて、特定の女の子と楽しんでしまうというのが、若いころの僕のコンパの楽しみ方でした。

むっちゃ、いやな奴ですよね。

でもその時は、いやなことをしているという自覚はもちろんありませんでした。

この感じ方が、俺は俺だけの酒の楽しみ方を知っている、という勘違いを生み出し、
その勘違いの継続が40年近くにわたる過剰な一人飲みをもたらしたようです。

やっぱ人は、人と人の間なんですよね。
僕たちが薬物に頼ってしまったのは、やはり僕たちの内側の弱さが理由の一つだったようです。

でも今は、皆さんとの無重力状態のつながりの中で、断酒ライフを継続できています。
一見、ぼやっとしているように見えて、本当の核はしっかりとしたつながり。
僕は今はこのつながりの中で生かされていることを感じています。

皆さん、ありがとう。

この感謝を忘れないためにも

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さん
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。