僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

アルコール使用障害は障害?

アル症・肝硬変、めげることなく元気です、リスボン、58歳。

本日もリスボンの、問題提起?ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


本日も学会のため、神戸学院大学に行ってまいりました。

台風で開催が危ぶまれていましたが、先週とは異なり、台風はだいぶ南寄りの進路をとったようで、
学会は無事開催されました。


昨日と本日、僕が参加してきた学会は、「障害学会」です。

障害学 Disability Studies という学問領域そのものが新しい学術活動であり、
この学会も今年で第14回という、若い学会です。

また、社会学や福祉学の専門の研究者のみならず、
福祉の現場で活動している実践者ならびに障害当事者の参加も多く、
非常にユニークな学会です。

僕自身は第7回から入会し、これまで2回、発表させてもらっています。

「障害学会」は、障害の社会モデルという考え方を基本に置きながら、
障害者の社会的な権利を中心に、さまざまなことが考察の対象となっています。


さて、ここで一つの問題提起です。

そしてこの問題提起は、今後の僕の人生の一つの宿題になる大きな意味をもちます。

即ち

「アルコール使用障害、いわゆるアルコール依存症は、障害学の対象足りえるか」

という問いです。


一般に障害は、

身体障害

知的障害


の3つに大きく分類されます。

多分、一般の方が障害という言葉から連想されるのは、
車いす利用者を中心とした身体障害者でしょう。

そして少し詳しい方や身近に対象となる人がいる方は、知的障害者についてもご存知でしょう。

精神障害者については、一番、イメージが持ちにくいと思います。


さて僕たち、アル症者は、この分類では、精神障害者に含まれると思います。

僕たちの症状は、疾病ともいえますが、一生治癒し得ないという意味では、障害としてとらえることもできます。


身体障害や知的障害の大部分は、先天的なものであり、個人の行動や悪い習慣に起因するものとはみなされません。
それ故、疾病ではなく、障害として理解されることが多い。

しかし僕たちアル症者は、明らかに僕たちの不適切な行動ゆえにアルコール使用障害に陥りました。
したがって僕たちの過去の行動に瑕疵があることになり、ある種、報いとしての意味を担うと理解されることもあります。

でも多くのアル症者は、外的な原因ゆえに過度の飲酒に至っています。
したがって、社会的な原因を指摘することもできます。

また、仮に僕たちの過去の行動の瑕疵がすべての原点だとしても、そこを責めるだけでは、何の問題の解決になりません。

何よりも、すでに陥ってしまった僕たちはいいとして、僕たちの後輩を社会に生み出さないことのためには何の役にも立ちません。

僕たちがどういう困りごとを抱えているのか、
僕たちの今後の生活はどうあるべきか、
僕たちに続く若者を生まないためにはどうすべきか。

これらは、十分に学術的な意味を見出すことのできる問題であると思います。

だとすれば、僕たちは、障害学の対象となりえる当事者ということになりそうです。

障害学にかかわる一研究者として、そして新参者とはいえ、一当事者として、この問題に取り組むことは、
おそらく僕の最後の仕事の一つになりそうです。

しばらくは、アルコール依存症精神障害の一つとして理解することができるかどうか、考え続けていきます。

少々めんどくさい話になりましたが、
めんどくささに正面から取り組みます。そのためにも

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。