僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

友人

秋深し、隣は何をする人ぞ、こちらは断酒ライフ、送っています、リスボン、58歳。

本日もリスボンの、わがまま・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


昨日は、僕が家族に対する思いに欠けている人間なのではないかということについて書いてみました。

僕の感覚は、しかしながら、ある程度社会的な生活が保障されているが故の、自分勝手な感覚であろうとい予想は、立っています。

もし、ホンマに誰ともつながりがなくなってしまったら、
家族に対して特別な感情がもてないなぞという不埒なことが言えるかどうか、

正直、わかりません。

しかしまだ僕たちの家族というユニットが若かったころのような、
命を捨ててもいいというチームワークはもう復活はしないだろうと思います。


人はこんな感じ方をするようになってしまった僕や僕の人生に対して、
多分、ネガティブな評価を下してくださるんでしょうね、かわいそうな奴やと。

でも案外、気楽な感じもしますよ、
アル症になって家族から無視されるという罰ゲームの中にいるというのも。


さて、では家族以外の人たちに対する感情や感覚はどうかということを少し考えてみました。

まず僕には、幼いころから続いているという友人関係は全くありません。

小中学校、そして高校時代の友人に関しても、現在でも連絡を取り合う仲間というのは、一人もいません。

これは、僕が僕の出身地との関係を一切断ってしまったということと無関係ではありません。
数年前に高校の同窓会の通知が来ましたが、出席しませんでした。
ただ、会の進行中に電話をかけ、恩師と少しだけ話をしました。

大学時代に知り合った仲間とは、一部、現在でもやり取りのあるやつらがいます。
こちらも数年前に、大学時代の同期、数人で大阪で飲み会をもったきりです。

フェイスブックでつながっているのが何人かかな。

仕事仲間はもう仕事仲間でしかありません。

僕が唯一、長く付き合っているのは、やはり音楽仲間、つまりバンドメンバーたちですね。

ただし彼らとも、年に多くても十数回しか会いませんし、
スケジュールの打ち合わせのためにメイルのやり取りをするくらいですね。

なんかこう書いてくると、すごく寂しい人間のように思われるかもしれませんが、
継続的な関係が少ないだけであって、新しい出会いはしょっちゅうありますよ。

毎年新しい学生たちが入学してきますし、
学会では大学院で研究を始めたばかりの若手研究者とこちらも毎年のように出会うことができます。

どうやら僕は、継続的な人間関係よりも、新たな人間関係、それも機会が最初から制限されている人間関係のほうが楽なようです。

今のところ、頼り頼られるような関係よりも、
互いの関心の赴くままに出会うことの楽しさのほうに気をとられているようです。

もしかすると、というよりもおそらくは、相当、罰当たりな奴なんでしょうね、僕は。

でも今のところは、無理せずに強がっていられそうですので、このままでいこうと思っています。

罰当たりですが、最低限、一つのことだけは守り続けましょう。

ということで
皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。