飲酒歴40年、断酒歴2年と3か月半、不良初期高齢者、リスボン、59歳。
本日もリスボンの、えせ哲学?ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
連休も後半だそうですが、
僕は特にこれといって特別なこともなく過ごしています。
僕は特にこれといって特別なこともなく過ごしています。
午前中の授業がないので、
朝の家事がのんびりこなせるのがありがたいかな。
朝の家事がのんびりこなせるのがありがたいかな。
後はうろうろしたり、ピアノの練習をしたり、
だら~っと過ごしています。
ただ僕はたぶん、性格的な問題だと思うんですが、
この、だら~っていうのを心からは楽しめないんですよ。
この、だら~っていうのを心からは楽しめないんですよ。
結局はたいしたことはしないんですが、
何かしなあかんのではないか、せっかく時間がたっぷりあるのだから、
何かしなあかんのではないか、せっかく時間がたっぷりあるのだから、
と妙に、
一生懸命第一主義的に考えてしまうんですね。
根が怠惰にできていますから、たいしたことはしないんですけどね。
で考えてみると、
この僕の、できないくせに(やらないくせに)充実しなアカンと自分を追い込んでしまう症候群が、
飲酒者の頃の僕の、飲酒の動機の一つだったような気もします。
この僕の、できないくせに(やらないくせに)充実しなアカンと自分を追い込んでしまう症候群が、
飲酒者の頃の僕の、飲酒の動機の一つだったような気もします。
何かしようと気ばかりが焦った一日、
結局何もしなかった、
そこで、夕方になると、
どういう理屈のこねくり回しか今では判然としないのですが、
酒を飲んで、
充実できなかった一日を、
その終わりくらいは充実させようと考え、
酒を飲んで、
充実できなかった一日を、
その終わりくらいは充実させようと考え、
酒を飲んでいたような気がします。
理屈が全く成立していません。
なぜ酒を飲めば充実した一日の終わりを迎えることができるのか、
全く分かりませんが、
全く分かりませんが、
飲酒者であった当時は、
マジにこんな風に考えていたように思います。
マジにこんな風に考えていたように思います。
特に僕の場合、
飲酒者としての晩年には、
濃いめの焼酎の水割りを、
まずコップに一杯、くいっと一気で飲んでましたので、
飲酒者としての晩年には、
濃いめの焼酎の水割りを、
まずコップに一杯、くいっと一気で飲んでましたので、
何か、充実していたような錯覚に襲われていたんですね。
僕の経験していた、
充実した生活よりも飲まない生活。
これです、ハイ。
これです、ハイ。