飲酒歴40年、断酒歴2年と4か月、不良初期高齢者、リスボン、59歳。
本日もリスボンの、今昔物語・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
スマホはおろか、携帯電話もまだまだ一般化してはいませんでした。
25年が経過しましたが、
ここまでデジタル機器が一般化するとは予想できませんでした。
ここまでデジタル機器が一般化するとは予想できませんでした。
今の当たり前の機械や設備、そして社会インフラのほとんどは、
本当に夢物語のようなものだったのです。
本当に夢物語のようなものだったのです。
もちろんそれだけの時間が経過したということでもあります。
僕も全白髪になりましたし、
まさか内臓を言わし、
さらには精神病を患うとは思いもしませんでした。
まさか内臓を言わし、
さらには精神病を患うとは思いもしませんでした。
さて時代は変わったのぉ、と感慨にふけるのも一興ですが、
しかしやはり便利になりすぎた結果、
僕たちの思考や感覚がおかしくなってはいないかという振り返りも、
時には必要でしょう。
僕たちの思考や感覚がおかしくなってはいないかという振り返りも、
時には必要でしょう。
僕が18から23くらいまでの間、
つまり、1977年から1982年くらいまでの音源です。
つまり、1977年から1982年くらいまでの音源です。
あの頃は、ホンマになけなしのお金をはたいてLPを購入していました。
そして購入したLPは、
それこそ溝がすり減るほど、
何度も聴き倒しました。
それこそ溝がすり減るほど、
何度も聴き倒しました。
また、友人同士でLPをカセットテープに落として交換して楽しんでもいましたが、
そのテープも、それこそわかめになるくらい(といっても、若い衆には分らんでしょうな、テープのわかめ状態)、
聴きました。
そのテープも、それこそわかめになるくらい(といっても、若い衆には分らんでしょうな、テープのわかめ状態)、
聴きました。
今その音源を、
基本的には代価を払うことなく、
そこそこの音質で楽しむことができます。
基本的には代価を払うことなく、
そこそこの音質で楽しむことができます。
いいことなんでしょうね、きっと。
でも、必死にやりくりして音源を手に入れていたころと比べると、
情報ソースに対する僕たちの思い入れは確実に軽薄になっていますよね。
情報ソースに対する僕たちの思い入れは確実に軽薄になっていますよね。
今、一生懸命聴かなくても、いつでも音源を参照できる、
この妙な安心感というか担保感が、僕たちと音楽の関係を変えてしまったような気がします。
そしてその変化は、必ずしも好ましい方向とばかりは言えないような気がします。
若いころの僕たちは、
ホンマに素晴らしい音源に飢えていました。
ホンマに素晴らしい音源に飢えていました。
一度ゲットできた音源は、味わいたおしました。
あのしつこいまでの楽しみ方、
むしゃぶりつくような味わい方、
むしゃぶりつくような味わい方、
そこまで野獣化することによってのみ聴こえてくるもの、
そして見えてくること、わかってくるものもあったように思います。
そして見えてくること、わかってくるものもあったように思います。
モノが、そして情報が豊かであることは、
基本的には、よいことのはずです。
基本的には、よいことのはずです。
しかし豊かさが一つ一つの情報の意味を薄っぺらくしているとすれば、
それは立ち止まるべき事態かもしれません。
それは立ち止まるべき事態かもしれません。
僕たちの世代が絶滅して、
それこそデジタル・ネイティブが社会の中心になる日はそれほど遠くはないでしょう。
それこそデジタル・ネイティブが社会の中心になる日はそれほど遠くはないでしょう。
僕たち、おやじ族、おばはん族がやらなあかんことは、まだまだありそうです。
宿題がまだまだありますよ、皆さん、
ですから
ですから