僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

変われるものですね

飲酒歴40年、断酒歴2年と7か月、不良初期高齢者、リスボン、59歳。

本日もリスボンの、久々に振り返り・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


昨日の落雷によるトラブル、
テレビが受信できなかったことと、
勝手に床暖房のスイッチが入り、切ることができなかったこと、

どちらも解決しました。

どちらも専門の業者さんに来てもらい、処置してもらいましたが、

素人判断ですが、どちらも、
微細な電流で作用している回路の不具合が原因だったようで、
その回路を含む周辺のパーツの丸ごとの交換という処置をとってもらいました。

デジタル回路の生活インフラへの侵入は僕たちの生活を飛躍的に便利にしたのですが、

たかが雷一発で、素人では対応できない部品交換が必要になるようです。


同じような事態が、
やがては実用化されるかもしれない自動運転の乗用車に対しても起こりうるとすれば、

そして考えたくはありませんが、
世界中にごろごろある核兵器の起動スイッチの誤作動につながるとすれば、

僕たち人類は、
目の前のちっぽけな便利さのために、
いつでも全滅できるいらん道具を作って常備してしまったのです。


政治や外交、経済活動等の指導者は、吟味して選ばなければなりませんね。

とりあえず、アメリカ人と日本人、
この点については猛省が必要です。



さて、このごろ皆さんのブログを拝読していますと、
僕が忘れかけている感覚が呼び覚まされ、思いを新たにします。


飲酒者であった頃の僕は、
少なくとも健康診断の結果を見たことはありませんでした。

どうせ、肝臓に関する数値に異常が現れ、
精密検査が必要であるといわれ、
そして精密検査を受ければ、
まず間違いなく、医者から断酒を勧められる、
あるいは場合によっては命じられることが、
火を見るよりも明らかに予想されたからです。


あの頃は、
酒のない生活、酒のない人生は考えられませんでした。

それも期間限定の禁酒ではなく、
一生、アルコールを口にしてはならないという、最後宣告、
絶対に受け入れることはできませんでした。


今では、その意固地な感覚が理解できなくなっています。

そしてそのように感じてしまうこと、
そのような感覚が生活全体を支配してしまうこと、
そのことこそが依存症の証であり、

一番深刻な症状であることを理解できるようになりました。

人間、変われるものですね、ホンマに。



もちろん、僕自身の覚悟や力だけで変わることができたとは思いません。

まず、知識や情報の力が大きかったと思います。

依存症が精神的な疾病であり、
専門家の助けを求めてよいこと、あるいは求めるべきであること。

多くの人びと、今では勝手に仲間と意識させてもらっていますが、多くの仲間が共通の苦しみとともに暮らしていること。

そしてその仲間たちから、
ちょっとのつまずきがもたらすめんどくさい事態についても教えてもらいました。


もう少し僕の断酒ライフの安定性が高まってきたら、
カミングアウトを通じて、地獄の寸前の境界領域でさまよっている、
潜在的な危機状況にある人びとに対して、多少のアドバイスもできるでしょう。


断酒ライフがとても有意義で楽しいことを確認できました。

次はその楽しさを大いに発信し、
そして依存症寸前の人びとに対して、この病気の恐ろしさについても、
発言していくべきでしょうね。


少しばかりええかっこしいの話になりましたが、嘘はついていません。

僕は断酒者です。

ですのでいつものように

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。