僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

平成初期の僕 ほんの少しの自己の揺らぎ?

飲酒歴40年、断酒歴2年と8か月、不良初期高齢者、リスボン、59歳。

本日もリスボンの、若きウェルテルの悩み・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。



平成を振り返ろうシリーズ、
今日は、平成5年、1993年とその少し前の話です。


平成5年、僕の勤務している大学が開学しました。

僕はこの大学の開学申請書類に記されていた教師の一人です。


大学教員の就職というか、採用というのは、
一般の方々がその実情をあまりご存じない、世間から隔絶したブラックボックスの世界です。


まず大学の教師には、必要な資格はありません。

極端なことを言うと、
大学卒である必要すらもないのです。


表向きは公募という形で新しく採用する教員候補を募集します。

ただし、この公募というやつも結構、幅があります。


ホンマは決まってんねんけど、
一応、形だけでも公募にするね、という出来レース型の公募もあれば、

公募といっても学内の公募ですよ、
あるいは、同一学校法人内部での公募ですよといった、

それ、公募でも何でもないじゃん、というほとんど詐欺型の公募もあります。


もちろん、ホンマにホンマの公募もありますが、

その際の選考作業は、困難を極めます。



ところが僕の就職は、
このような闇に包まれた採用形態ではありません。

新たに大学を開学する際には様々な書類が必要になりますが、

その中には、どういった人間が教員として就任するかという人事関係の書類も必要になります。


そして新規に開学する大学の人事は、
その大学の所属する学校法人が決定するのではなく、

文部科学省が決定するのです。


つまり新しい教育を行う大学にふさわしい教員が揃えられているかどうかについて、
主に業績書という書類を中心に、文科省の委嘱を受けた専門の委員会が審査します。


そういう意味では、
決してガラス張りではありませんが、

内部事情を加味したご都合的判断が入り込む隙間はありません。


僕の勤めている大学でも、
最初の書類ではねられた人が何人かいましたし、
職位に関してクレームがついた人もいました。


結構、厳しい審査が行われるようです。


で、自慢ではないのですが、
僕はその審査をクリアーして採用されたのです。


ただし、このことが僕の人生にとって決して小さくはない、ネガティブ要素として働き続けました。


手短に言えば、

文科省に提出された業績をもつ僕は、僕には違いないのですが、
その書類の中には、僕の大好きな僕、僕が本当に僕自身であると信じていた僕が含まれていませんでした。

つまり僕は、
僕自身の公的な書類に合わせるために、
僕自身を少しばかり制限しながら生きることを余儀なくされたようです。


誰でもそんなもんやで、
といわれればそうかもしれません。

しかし僕自身がありたい僕は拒否され続けてきました。
これはかなり僕の心に穴をあけたような気がします。

具体的な話はまた別の機会に譲ります。

僕の愚痴は甘えでしょうが、

しかし僕の受けてきたプレッシャーは僕の精神を曲げてしまったかもしれません。

もしかすると僕のアル症の遠因の一つだったのかもしれません。


今はそのプレッシャーから自由になりつつありますし、
束縛から解放される日も遠くはありません。


断酒ライフのおかげで、健康に愚痴ることができるようになりました。
そして愚痴の先を見つめることもできるようになりました。

愚痴を感じつつ、無理やり抑え込んでいたのが、平成初期の僕だったようです。


また落ち着いて愚痴ることにします。
そのためにも

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。