僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

やっぱ世間の皆さんは修羅場をご存じないんだ

飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、問題の根っこは深そう・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

某大手牛丼チェーンの常務が、経営セミナーの席での不適切な発言のために、解任されたそうです。

この案件、いろいろな問題を孕んでいるようです。

 

例えば、そのチェーン店運営企業の対応の驚くほどの速さ。

飲食業にとって広い意味での顧客に与える企業イメージは、

企業の存続にかかわる重要な事案でしょう。

そして今日のような情報が液状に浸透してしまう社会においては、

全ての組織体にとっては、

確固たる事実よりも液状に広がっていくイメージの方が圧倒的なパワーを持ってしまいます。

 

Y 野屋とその運営企業体は、

彼らにとっての実質的な事実である商品開発と、

その提供システムのブラッシュアップにも努力を積み重ねてきた企業体です。

しかし今回の事態においては、たった一人の不用意な発言が、

そのような永年に渡る企業努力すらも無力化してしまう可能性を秘めています。

発言の当該個人に対する処分だけで事は解決はしませんが、

しかし企業イメージに対する打撃をできる限り抑えるためにも、

迅速な対応が必要だったんでしょうね。

 

そして僕が今回の件でどうしても無視できないのが、

問題視された発言の中に見られる、二つの危険なパワー・ワードです。

 

一つは「生娘」という言葉であり、

そしてもう一つは「シャブ」、あるいは「シャブ漬け」という隠語です。

「生娘」という言葉自体は、ポジティブなイメージをもつこともあります。

しかし、多くの場合、「生娘」を不当に消費してしまう側のジェンダーから発せられることから、

パワー・ジェンダー・ハラスメントの観点からマイナスのイメージを発してしまうようです。

 

そして「シャブ」という言葉ですが、

もちろん、これは、最も凶悪な薬物である覚醒剤を意味する隠語です。

覚醒剤がどれほど凶悪な薬物であるかは、

僕たち、アルコール使用障害者は、一般の「健康」な方々よりは想像しやすい。

 

でも薬物使用障害の発作状態を経験している僕たちでも、

覚せい剤使用障害当事者の皆さんの言う、

「全身の全ての毛穴が覚醒剤を欲してしまう」というような、極限の依存状態は理解を超えています。

そんな覚醒剤の恐ろしさについて、

薬物使用障害の当事者ではない人が理解することはおそらく難しいに違いありません。

 

僕は今回の騒動の中で、

エリート・マーケッターとして重用されていた人物の口から、

「シャブ」、あるいは「シャブ漬け」といった言葉が軽々しく出てきたことに対して、

いろいろなレベルでの危険性を感じています。

彼も含めて多くの人びとが、覚醒剤の恐ろしさを知りません。

覚醒剤使用障害に陥った人びとが一生向き合わなければならない、

想像を超えているに違いない恐ろしい心理状態、そして生理状態について、

世間の人びとは知らないし、知ろうともしない。

その苦しさは、同じ薬物使用障害者である僕たちの想像も超えているはずです。

 

薬物使用障害という疾病は、

多くの精神障害、あるいは精神疾病と同じく、

共感してもらえないばかりではなく、理解してもらうことも難しい病気です。

僕たちは茨の道を歩かなければならないようです。

だからこそ、僕たちは僕たち自身を見つめ続け、そして反省もしながら、

明るい可能性をももっている未来に対する希望も忘れてはならないのです。

 

僕たちは卑屈になってはいけません。

断酒ライフのいろいろなおみやげを全身全霊で楽しみながら、

生き続けましょう。

 

 

 

 

 

 

帰ってきた一つの日常

飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

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まずはご報告、

本日をもちまして断酒ライフ継続、6年と3カ月を達成いたしました。

いつも通り、神様のお召があるまで、一歩、一歩の毎日です。

 

今日は2年ぶりに、対面での大講義を行いました。

おもに1年生を対象にしたクラス、

1年生たちにとっても、入学して初めての大講義室での大学の授業、

そして多くの講義を遠隔授業で経験してきた2年生や3年生たちにとっても、

実質的には初めての大講義授業でした。

 

いや~、やっぱり生のリスナー?の前でのトーキング・パフォーマンス、

気もちは上がりましたねぇ、やっぱり。

こちとら、経験値だけは高いんで、ペース配分を考えながらしゃべったつもりでしたが、

100分講義を連続、2コマ、

しかも全く同じ内容を話さなければならないという、

これはこれである種の行ですが、

やっぱり疲れました。

喉をかなり酷使してしまったようで、

5時少し前に帰宅して、ピアノと歌の練習を始めましたが、

声帯が少しだけ筋肉痛を起こしていたようで、

どうにも音程が定まりません。

講義のプロとしての体調管理と、

ヴォーカリストとしての体調管理、

新たな課題をいただいたようです。

 

新型コロナウィルス感染問題、

もちろん、このまま一気に収束の方向に向かうことはないでしょう。

社会全体が行きつ戻りつしながら、

世界全体で、ウィルスとの賢い付き合い方を模索していく旅が続いていくと思います。

上海での感染爆発の再来は、不安感を募る要素です。

 

でも2年前の、国を挙げての集団ヒステリー実験室状態からすれば、

いろいろな日常がゆっくりと帰りつつあるようです。

希望を見つけにくい毎日かもしれませんが、

希望を捨ててはダメですよね、きっと。

僕たち、断酒ライフ・サバイバーは、

僕たちの生き返りの事実に自信をもって、誇りをもって生きていきましょう。

 

敷居は下がるが、高みも下がる

飲酒歴40年、断酒歴6年と2カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

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ちょっと今日は、屁理屈ワールドに遊びます。

 

心身ともに飲酒欲求に支配されていたかつての僕たちとは異なり、

多くの健全な機会飲酒者たちにとって酒は、

より親密な人間関係を築くための有効なツールでしょう。

 



互いに酒を酌み交わしながら、美味しいものを共にいただく。

相手のことや自分のことについて、

最初は遠慮がちに、しかし酔いの進行とともに徐々に、ずけずけと尋ね、語り合うようになる。

やがて互いの琴線に触れあうかのような共感点を見出し、

永年の親友であったかのような感情を抱いてしまう。

 

こんなふうにして、互いに分かり合えたような気になれば、

その宴席は素晴らしい成果を導き出したかのように見えます。

 

乾杯といってグラスをぶつけ合った後に、まずは一口、含み、

くぅ~ってなことを呻きながら、いやぁ、美味しいですねと、まず互いの共感空間を醸成していく。

酒には、まずは共犯関係をいとも簡単に作り上げてしまう、魔法の力があるようです。

体質的にアルコールを受け付けない人の中にも、

酒は飲めないけれど宴席の雰囲気が好きだという人が少なくないのも、

この魔法の力の効果でしょう。

 

酒はまずは、人と人の垣根を取り払い、出会いの敷居を一気に低くしてくれるようです。

そしてほろ酔いの進行とともに、

互いに言いたいことを自由にいえるかのような解放感に包まれていくことでしょう。

 

しかしその時、

互いに言いたいことを伝えあっているかのような錯覚が始まっていることにも、

注意すべきかもしれません。

ある程度酔いの回った酔っぱらいは、互いに言いたいことを言ってはいますが、

相手の言っていることをちゃんと理解しながら聞いているかどうかは怪しい。

話す内容も、酔いの進行とともに、論理性も構造性も希薄になっていきます。

 

飲酒者の頃の僕は、どちらかといえば酒に強い方だといわれてましたし、

自分でもそうだと思っていました。

でも振り返ってみれば、楽しい宴席であればあるほど、

内容面では全く通じ合っていないにもかかわらず、

リズムというかノリというか、勢いだけは共感状態にあったかのように見えた、

ホンマはムチャクチャ雑なコミュニケーションに溺れていただけだったようです。

断酒者になってから参加した宴席では、

飲酒者たちの見事なまでの堕落への変化を目の当たりにすることができ、

それはそれで面白い経験でした。

 

アルコール飲料が人と人の出会いの敷居を下げるのは確かなようです。

しかしその出会いの先に、どのようなコミュニケーション空間が開けているのかは、

案外、あてにならないような気がします。

 

機会飲酒の範囲から逸脱しない人にとって飲酒は悪ではありません。

しかし飲酒という行為ににどれだけの意味や意義があるのか、

本当に人のつながりの潤滑油として働き得るのか、

飲酒は悪ではないけれど、必ずしも素晴らしいものではないような気もします。

 

断酒ライフ・サバイバーとして、これからも観察と考察を続けてみたいと思います。

 

春に挨拶

飲酒歴40年、断酒歴6年と2カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

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今日は2日連続のジャムセッション、ホスト・ピアニストの2日目、

時々、一緒にライブを行う仲間たちがお客さんとして来てくれて、

盛り上がることができました。

ライブの時と違うのは、

今日の僕はホストなので、僕の主張はできる限り控え、

仲間たちの提案にできる限り忠実に従って演奏したことです。

 

あえて制限的な要素を受け入れる演奏を行ったわけですが、

そのことによって、今まで気がつけなかった新しいメソッドを見つけることができて、

それはそれで、非常に興味深い結果になりました。

この頃、折に触れて報告していますが、

音楽も足し算の考え方で盛っていくよりも、

引き算の感覚で要素を絞っていった方が、意図のはっきりした、よい成果をもたらすようです。

足し算の美学は若い衆に任せることにして、

俺たち、高齢者は、経験値の高さを武器に、引き算の美を追求していくべきでしょう。

 

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今日も暖かい一日でした。

ふと桜が見たくなり、湖畔の古邑、堅田の渚沿いを散策しました。

ほとんどの桜はもう時期を過ぎていましたが、

湖畔の十六夜(いざよい)公園の1本の枝垂れ桜がちょうど満開を迎えていました。

正確に言えば、少し満開を過ぎており、

咲き誇る花びらの間から若葉の鮮やかな緑がのぞき始めていました。

 

花びらの白とピンク、若葉の黄緑、

そして間から見える青空の3種の色のトーンが、きらめくようなアンサンブルを作り上げていました。

僕は、満開の桜よりも、

花びらの白と葉の黄緑が絶妙な競演を見せてくれる、

満開を少し過ぎた桜の方が好きです。

満開の桜は、僕には鮮やかすぎますし、

その一瞬の輝きは少し悲しい。

複数の色がまさに自然のハーモニーを醸し出してくれる、

そんな中に春の喜びがあるように思います。

 

燕たちも帰ってきました。

多分、彼らの恋の季節なんでしょう、

忙しくさえずり続けていました。

 

今さらですが、本当に春が帰ってきました。

今日は小一時間ほど、帰って来てくれた春に、ゆっくりとあいさつをしてきました。

あと何回、春にお帰りなさいを言うことができるでしょう。

 

 

久々に見かけた彼

飲酒歴40年、断酒歴6年と2カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

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以前にもご報告してましたように、

 

ちょっと小忙しくなるかな…? - 僕のワンノートサンバ

 

今月はジャムセッションのホスト・ピアニストを4回、引き受けています。

今日は、その3回目、

しかも初めての店での大役でした。

僕がそのお店のホストを務めるのが初めてだけではなく、

店としてもジャム・セッションの開催そのものが初めてということで、

お客さんは少なかったのですが、

謡曲からジャズと、その守備範囲が多岐に渡る、ホンマのごった煮ジャムセッション

ゲストの皆さんに楽しんでもらえたと思います。

 

今日のタイトルの「久々に見かけた彼」というのは、

このジャムセッションとは全く関係がありません。

 

今日のジャムセッションの会場は京都でしたが、

京都に行く途中で、大津京のイオンスタイルで時間つぶしをしました。

4階にあるフードコートでアイポッドを聴きながら少しばかりぼーっとしていました。

 

すると僕の隣のテーブルに、

名前も年齢も、そして職業も存じ上げないけれど、

お顔とその行動特性については、非常に印象に残っている男性が現れました。

彼は、おそらく1階の食品売り場で購入してきたであろう、お弁当やおにぎりをテーブルの上に並べ、

椅子に座らず、テーブルの端に両手を置いたまま、

誰を気にすることもなく、幸せそうな顔をして立っていました。

そして大量の食糧を、ゆっくりと食べ始めました。

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彼を始めて見かけたのは、6年前の入院中のことでした。

何故か彼は、僕が入院していた病院の談話室に毎日のように現れ、

病院内のコンビニで購入したと思われる大量の食糧を、

今日と同じようにテーブルに並べ、

椅子に座らず、足ったまま、時間をかけて食べていました。

その頃も彼は、誰も気にすることはなく、

そして誰も彼を気に留める様子もなく、

マイペースの食事を楽しんでいました。

 

30代から40代と思われる彼は、おそらく自閉症です。

自閉症とともに暮らす彼にとって、

以前は病院で、そして最近はショッピングモールで食事をとることは、

とっても重要な毎日のルーティンのようです。

そんな彼が、以前と変わらぬマナーで食事を楽しんでいた様子を見て、

何となくうれしくなりました。

理由はよく分かりません。

でも彼の孤独だけど優しい表情が、言葉になりにくい物語を語っていたようでした。

N 痴症を懼れる今日この頃の俺だ~

飲酒歴40年、断酒歴6年と2カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

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以前にも書いたことがありますが、

数学者で大道芸人ピーター・フランクルさんは、

数学者にとって最も重要な身体器官である脳の働きを衰えさせる可能性が高いため、

アルコール飲料は一切、口にしないそうです。

 

飲酒者であり、勢いと生意気さで学術活動に従事していた若かりし頃の僕は、

そんなフランクルさんの生きざまを尊敬はしていましたが、

自分とは無縁のものだと思っていました。

昼間は、自分なりのペースで大脳に大汗をかかせて勉強をし、

そしてオフタイムには、アルコールのもたらしてくれる陶酔感を楽しむ、

そんな毎日の繰り返しが自分の生き方だと思っていました。

 

40年間の過剰飲酒生活にピリオドを打ち、

生まれ変わってアルコールなしのクリアーな脳みそ生活を送るようになった今、

フランクルさんの生き方はベストな選択であると考えることができるようになりました。

しかし今さら後悔しても手遅れですので、

せめて現在も十分な稼働状態にある脳細胞を可能な限り活かし、

そして休眠させないことを何よりも優先させるべきでしょう。

 

この頃、ネット記事を見ていても、

認知症に陥る生活習慣」ですとか、「この食事が老化を早める」といったようなタイトルに、

目を奪われることが多くなりました。

大抵の記事が、

 

交友関係を大事にし、社会性を保つこと、

適度な運動を行い、心身ともに適度な刺激を与えること、

受動的なことよりも能動的な活動の中に楽しみを見つけること、

まんべんなく栄養素を摂取できる食事を心がけること、

 

といったような、言ってみれば当たり前のことの重要性を強調しています。

今のところの僕の生活は、

音楽活動を生活の中心に置くことによって、これらの行動指針を守ることができていると思います。

甘味系の食物を少しばかり過剰に摂取しているかもしれない点は、要注意かも。

 

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この頃、ピアノの練習に際して、

メロディーをできる限り丁寧に弾くことを心がけています。

ジャズ・ピアノのアドリブ・プレイの場合、

どうしても音が駆け抜けるような華麗なフレーズに走りがちなのですが、

あえて一つ一つの音を意識しながら、短くとも個性の光るフレーズを紡ぎ出すようにしています。

 

少しだけ技術的なことを付け加えますと、

サスティン・ペダルをできる限り使わないことによって、

一つひとつの音への意識を高めるようにしています。

 

加齢による反射神経の衰えは、残念ながら抑えることが難しい。

しかし加齢による経験値の増大は、一瞬一瞬の意味を掘り下げる認識法をもたらしてくれました。

僕たちのような、ネガティブな経験値も豊富にもってしまった高齢者は、

時の流れを止めることなく、それぞれの一瞬を見つめる感性を獲得できたはずです。

 

走らず、でも立ち止まらず、一歩一歩を感じながら歩いて行くこと。

おそらくこんなあたりが、N 痴症の恐怖を克服するための有効な心がけでしょうね。

 

皆さん、3C (クリアー、クール、クレバー)の脳みそで、断酒ライフ、楽しみまくりましょう。

 

 

 

トイプー・オニギリとディズマランド

飲酒歴40年、断酒歴6年と2カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、ホンマに雑談です・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

今日の僕は、ヒッキー君を決め込み、実に社会性の乏しい一日を過ごしました。

パートナーもパートが休みだったので、

夫婦で一日中、家で過ごしたのですが、

ほぼ、会話はゼロ。

朝、昼、晩ともに、食事は時間をずらして取ります。

互いに勝手なことをして過ごし、しかも相手のしていることに対して一切、交渉しない。

家の外に出なかっただけではなく、

家の中でも社会性のない一日でした。

 

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ネットで紹介されていた写真です。

ご飯とノリでできた、トイプードル型のオニギリです。

変わりオニギリを制作し、ネット上で公開しているオニギリストの作品だそうです。

 

じっくり見れば、間違いなくご飯粒とノリなのですが、

ぱっと見、トイプーちゃんですよ、ホンマに。

ちょっと和ませてもらえました。

 

www.youtube.com

バンクシーの作品、ディズマランドを紹介した YouTube 動画です。

バンクシーといえば、グラフィティ作品が有名ですが、

このディズマランドというアート・プロジェクトは、

ディズニーランドのディストピア的なパロディーを実際に作り、

期間限定で営業を行ったというものです。

従業員たちのいかにも投げやりな接客を始め、笑かしポイントが満載です。

もちろん、笑いを取るためのプロジェクトではなく、

アメリカ的な商業主義の世界的な専横に対する、アート・レジスタンスです。

英語の勉強と、仕込みに手間をかけたお笑い?、

そして現代美術ならではのスリリングな知的バトルを同時に楽しみました。

 

今日もしっかりとピアノを弾き、森の中のライト・ジョギングを楽しみました。

まとまりのない話でしたが、断酒ライフはしっかりと継続中です。