僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

相対性理論

飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

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昨日からの腰痛、悪化しております。

昨日の段階では、風邪の一症状ではないかと勝手に勘違いしておりましたが、

今日の感覚では、ホンマの腰痛ではないかと疑いを深めております。

寝っ転がった状態から体を起こすとき、これまでにない負担と、痛みが伴います。

その痛みも、特定の筋肉なり関節なりが痛いというものではなく、

腰全体が何となく、だるくて痛いという、激痛ではないけど、なんか、ヤな感じ。

今日も筋トレはお休み、

しばらく様子を見ることにしましょう。

 

ところでタイトルの「相対性理論」ですが、

もちろん、アインシュタインの「特殊相対性理論」、

ならびに「一般相対性理論」とは関係ありません。

大学1年生までは、バリバリ理系頭脳の持ち主だった僕は、

特殊相対性理論」までは、数学的にも理解できていました。

もちろん、今では、遥か、忘却の彼方ですよ。

 

何の話かというと、

いろんな人が若く見えるようになったなぁ、という話です。

 

テレビ等で、学識経験者等が写真や映像とともに紹介されるとき、

この頃、ほ~っ、若いのに頑張らはった人やなぁ、と思うことが多いです。

ところが、年齢や肩書等を紹介されると、

40台、50台、そして60台の、大学教授だったりするんですよね。

 

最近の学術研究者は若作りの人が多いんやなぁと思ったりもしましたが、

これが完全に僕の勘違い。

もう、話は、あほらしいほど単純なことで、

僕が歳を取っただけのことなんですね。

こちらのレベルが無駄に上がっていますので、

世間一般の皆さんからは、十分にレベルの高い方でも、

さらにレベルの高いこちらの目線からは、相対的に下に見えたというだけのことですよ。

 

ずーっと実年齢よりも若いつもりでしたが、

やっぱり、無理筋は無理筋、人間、歳相応の感覚年齢に到達するんですね。

 

ただ、この感覚、かなりお得な部分もありまして、

異性を眺めて楽しむときのストライク・ゾーンがかなり広がりました。

このオッサン特有のお得メリット、ちょっと犯罪かもしれません。

性的な関心を保つことも、知性の衰えを防ぐ有効な手立ての一つだそうです。

最後はオッサンのスケベ心で〆ましょう。

断酒マインドとスケベ心は、最強タッグです。

五歩進んで四歩下がった連休、でも最後に三歩さらに下がったかも・・・

飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

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明日(5月6日)は、授業のために大学に参ります。

ですので、僕の今年の連休は今日で終わりです。

 

例年通り、特に何も特別なことのない連休でした。

あえて言えば、昨日、報告した、ウトロ平和祈念館への訪問が唯一のスペシャルでした。

でも、1日にとあるセッションにお客さんとしておじゃまして、

ほとんどホストやろうというくらいに、大暴れはしました。

 

ピアノと歌の練習もいつも通り、

特に目新しい挑戦はしませんでしたが、

サスティン・ペダルを極力使わず、

派手なパッセージよりも、シンプルなフレージングをじっくりと響かせる奏法に、

さらに磨きをかけたつもりです。

磨きがかかったかどうかはさておき。

 

新型コロナウィルス感染拡大以前であれば、

毎年、連休中の日曜日に、自治会の町内掃除があったのですが、

これで3年連続、中止です。

みなでワイワイと掃除をし、

掃除の後に自治会の総会を行い、そしてそのあとは飲める人はビール、

そうでない人はソフトドリンクを飲みながら、

道で車座になっての懇談会、楽しかったんですけどね。

自治会の掃除は中止でしたが、せめて拙宅の前の道くらいはきれいにしようということで、

ひとりで簡単な掃除はしました。

掃除というやつ、成果が目に見えますので、それなりに楽しいですね。

 

今日はしかし、いつものエクササイズをサボりました。

どうも軽く風邪をひいてしまったようで、

朝から腰回りに痛みのような違和感がありました。

ピアノの練習や、軽作業には影響はないのですが、

さすがに上体起こしも上体反らしも、そして軽いジョギングも無理なようで、

連休最後の、3コマ下がるの刑でした。

 

今日は(今日も)早寝をして、コンディション調整に努めます。

ウトロ平和祈念館を訪れました

飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

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タイトル通りです。

宇治市に今週の月曜日にオープンしたウトロ平和祈念館に行ってきました。

 

この記念館がどういう施設なのかということについては、

ホームページで確認していただくことにしまして、

僕にとっての意味づけについて簡単に紹介します。

 

僕は現在は日本国籍を取得していますが、

元々は、在日コリアンの3世です。

 

宇治市ウトロ地区は、

第二次世界大戦中に京都南飛行場の建設のために徴用された在日コリアンたちが、

敗戦後も様ざまな理由で暮らし続けた地域で、

昨年、愚かとしか言いようのない青年によって放火事件が起こされたことでも知られています。

 

僕自身は、ウトロ地区のコリアンたちとの個人的なつながりは全くありません。

しかし今回、ウトロ地区の当事者たちのみならず、

彼らの生きざまに対して共感を寄せた日本人たちの支援もあり、

ウトロ地区で暮らし続けているアボジやオモニたちの、

過去、現在、そして今後について考えるための資料展示館として、

この施設は設立されました。

 

僕は僕自身を、在日コリアンというよりも、

在日コリアンディアスポラという、少しばかりややこしい位置づけで捉えていますが、

人生の半分以上を過ごしてきた今という時点で、

この施設やこの施設の設立や運営にかかわっている人たちとは、

関りをもつべきであろうと考えました。

 

僕は、在日コリアンの運動に直接、かかわりをもつつもりはありません。

しかし、全く無関係を決め込むこともあまり面白くありません。

そこで、ここ2,3年ほどで僕の中で醸成されてきた、

僕自身のアイデンティティーについての意識をもちながら、

主体的に、でも積極的に身を引きながら(?)、考えていけるのではないか、

そしてその過程を誰かと共有してもいいのではないかと思えるようになりました。

今日の訪問は、そのための種まきのような狙いがありました。

 

ウトロ平和祈念館の資料館としての規模は、決して大きくはありません。

学芸的な観点からは、物足りない点もありました。

でも展示されていた資料は、興味深いものばかりでした。

 

人びとの地域での生活ぶりを示す展示品の多くは、

僕の幼いころの記憶と響き合うものでした。

またウトロ地区の居住権や土地所有権に関する裁判資料の多くは、

現在も係争中であるということもあり、

生ものだけがもつ迫力を帯びていました。

 

設立にかかわった専門家の方とも面識を得ました。

事務局長とも名刺交換ができました。

事務局長には、僕がピアニストであることもお伝えしました。

僕の今後の人生のための新たな種まきになったかどうかは、

今後の展開を俟つことにします。

 

 

Din Don Dan 阿波踊り 人間の塔

飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

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今日は YouTube 三題噺?です。

 

Din Don Dan 。

僕も詳しくは知りませんが、曲の名前だと思います。

ダンス・エヴォリューションという、アーケード型のダンス・ゲームがあります。

プレイヤーは、画面に指示された特定のアクションに従って体を動かすと、得点が入り、

上手くアクションを続けられると、

曲ごとにアレンジされたパラパラ?が踊れているという仕組みのようです。

この頃、YouTube で、このゲームの Din Don Dan をプレイした動画をよく見ています。

プレイヤーの多くは若い女の子で、オッサン心が刺激されると同時に、

たまに少し合わせて踊ったりもしています。

 

かなり難しい動きもあり、またほぼ全身を使うので、

1分40秒ほどのプレイで、かなりのエクササイズになります。

 

偶然、阿波踊りYouTube 動画を楽しむようになりました。

阿波踊り、音楽も踊りも単調なのですが、

かなりの集団での演奏を聴き、

そして大勢の踊り手たちの動きを見ていると、

時間が動いているようで止まっているような、不思議な恍惚感に包まれます。

 

そしてもう一つ、

スペインのカタルーニャ地方の奇祭?人間の塔の記録動画にもはまっています。

1チーム、100人以上で構成されるプレイヤーたちが見せてくれる、

限界の高さに挑戦する、組み体操です。

こちらはズバリ、高さに驚かされると同時に、

老若男女一体となったチームワークにも感動させられます。

 

集団での舞踏アンサンブル、

まだまだ完全復活までは時間がかかりそうですが、

やっぱり人間、難しい動きであろうと、単純な動きであろうと、

身体を動かしてナンボの生き物だと思います。

 

身体を腐らす前に断酒ライフに入門できてよかった。

 

頑張ったことがあったかな、俺?

飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

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昨日は、倅の就活と絡めながら、

僕のこれまでについての、ザクっとした振り返りについて報告しました。

 

中途半端に研究者というやくざ稼業を送り、

中途半端に心と体を壊し、

そして中途半端に老後の夢に向かっている。

昨日はそんなふうに、特に卑下したわけではなく、

自分の人生のこれまでについて、中途半端というキーワードでまとめてみました。

 

一般的には中途半端という言葉に対しては、マイナスのイメージが付与されると思います。

もちろん、僕は、僕自身のこれまでについて、マイナスのイメージでくくろうとは思っていません。

中途半端の対極におかれる言葉としては、努力とか、一生懸命といったあたりが挙げられるでしょうね。

 

そこで、僕はこれまで、何かに対して努力して、一生懸命、頑張ってきたかと考えてみると、

少なくとも、努力や頑張るといったキーワードは、しっくりきません。

 

高校生までは、勉強に関しては田舎の優等生だったのですが、

僕に勉強を頑張った記憶はありません。

数学や物理といった理系の科目は、ほとんどパズルに取り組むようなゲーム感覚でした。

ゲーム感覚で楽しむ要素の少ない科目の成績は、見事にそれなりでした。

 

大学に入学した後も、

デザイナーとしての実技訓練に取り組んでいた時も、

劣等生なりにやりがいを感じながらやってました。

理論研究にシフトしてからは、大学での学習に生きがいすら感じていました。

 

音楽に関していえば、

やるなといわれてもやっていました。

楽器の練習はもちろん、勝手に作曲の勉強もしてました。

 

大学で教えることになってからも、

仕方なしに取り組んでいたわけではありません。

研究も好きでしたが、その成果を若者たちにぶつける仕事にもやりがいを感じていました。

 

ホンマに、ある意味で遊び倒してきた人生だったかもしれません。

 

ですので、努力や頑張るといったキーワードには、抵抗感があります。

 

断酒ライフ・サバイバルについても、

入門直後に離脱症状に苦しまされることもなかったため、

辛さよりも、楽しさや達成感の方が強く感じられます。

 

以前にも報告しましたが、

勤め先の大学の学生から学習やキャリアに関して相談を受けるときにも、

努力というようなキーワードを用いてアドバイスすることには抵抗があります。

自分の中に、「おまいう」(お前が言うな)感が現れるのです。

 

まだまだ現役意識バリバリですので、結論付けるわけにはいきませんが、

多分僕は、僕の人生を、いい意味で中途半端に楽しんできたんだろうなと思います。

 

何かを究めること、そしてそのために最大限の努力を払うことに対して、

一般的には賛辞が贈られます。

でも、努力を究めることは、究極の際を覗くような危うさを伴うこともあるでしょう。

僕たちのように、一度、精神の際をのぞき込んでしまった人間にとっては、

努力のような、文句なしにポジティブに見えるような言葉には、警戒が必要かもしれません。

時に強く、時に弱く、しなやかに構えることが、断酒サバイバーの一つの生き方かもしれませんね。

ちょっと、自分に対して甘すぎるかな。

 

 

倅のキャリアデザイン

飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

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昨晩、久しぶりに倅が帰ってきました。

連休中は家にいるのかなと思っていたら、

明日、また大学に行かなければならないということで、

今日、大阪に戻ってしまいました。

 

大阪行きの新快速に乗りやすい駅まで車で送りましたが、

その車中で、今後の進路について聞きました。

秋の段階では、修士課程に進むつもりだったようですが、

学部卒での就職を目指すことに方針転換したようです。

理由を聞いてみると、ずばり、研究が楽しくなくなったからとのこと。

分かりやすい理由のようにも聞こえますが、

おそらく、指導教授や所属ゼミの方針等との複雑な絡みがあると思います。

あまり細部を訊いても仕方のないことですし、

何といっても根本的なモチベーションが無くなってしまったということですから、

悩む必要もないでしょう。

具体的に希望している就職先もいくつか候補があるということで、

あいつの方針転換を支持するしかないと思います。

 

これで倅の就職先が決まれば、

娘もすでに社会人デビューを果たしていますので、

一応、子育ての義務期間は終了することになります。

予定通り、強制解雇の前に、人生の大きな義務的支出を終えることができそうです。

 

こどもたちは二人とも、真っ当な人生を送ることになりそうです。

それに対してこの親は、

中途半端にやくざな職業を選択し、

中途半端に体と心を痛めつけ、

そして今のところ、中途半端に自由な老後の生活の夢の準備をしています。

思い切り破天荒な生きざまを刻んできたわけでもありませんし、

かといって、大々的に何かを残すこともなさそうです。

 

あえて自慢?できるポイントを探せば、

中途半端ではありましたが、やりたいことばかりやってこれた人生だったかな。

もうひと踏ん張り、あるいはもうふた踏ん張り頑張ることで、

もう少しやくざな生きざまを貫くしかないでしょうね、

この中途半端なクリエーター気取りのジジィには。

 

でも、中途半端ではないポイントは一つはありました。

断酒ライフを貫き、断酒サバイバーとしての矜持は絶対に守ります、ハイ。

 

 

久々に燃えたぜ!

飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

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昨日からゴールデンウィークということらしいですが、

例によって大学の教師という、1年じゅう夏休みかつ年中無休という働き方にとっては、

あまり関係のないことです。

僕は琵琶湖の西岸を生活圏としており、ここは関西圏のホリデーリゾート地区なので、

渋滞が発生しやすくなるのが、ちょっとばかし、鬱陶しいっすね。

 

今日もいつものように、家で仕事をしたり、ピアノの練習をしたりの一日でしたが、

昼過ぎに少しだけ買い物に出かけました。

僕は運転中はラジオを楽しむことが多いのですが、

今日の NHK-FM は、昼間はかつてのプロレスの選手入場曲を特集した特番を流していました。

 

僕はかつて、かなり濃ゆいプロレスの味方でした。

何回か実際に観戦に行ったこともあります。

ですので今日の NHK-FM のプロレス曲特番は、

時々、スーパーの駐車場などに車を停めて聞き入りました。

 

全日本プロレス新日本プロレスの両社の、かつての名物リングアナウンサー、

或いはそれぞれのテレビ中継のテレビアナウンサー、

そして両団体の何人かの名選手らが生出演し、

様ざまなエピソードを語り、

さらにはそれぞれの団体に参戦していたアメリカのレスラーの録音によるメッセージが紹介され、

ホンマに夢中になり、聴き込んでしまいました。

 

格闘系のスポーツとしては白眼視されることの多いプロレスですが、

僕はそもそも、スポーツとして理解することが間違っていると思います。

プロレスラーが徹底的に体を鍛え上げ、独特のアスリート・スキルを追求しているのは事実です。

その意味でプロレスラーをスポーツマンの系列上で評価し、讃えることは間違いではありません。

しかし彼ら、彼女らは、その鍛え上げた肉体とアスリート・スキルを活かして、

格闘技という形の中で表現しうる、

プロレスという独自の最高のパフォーマンス、あるいはドラマを見せようとしてくれているのです。

演劇とも舞踏とも異なる、あるいはスポーツとも異なる、

プロレスだけが提示し得る独自の感動体系を見せてくれる、一つの芸術形式、

それがプロレスだと思っています。

 

断酒サバイバーとしての生き直しの真っただ中にいる僕にとって、

今日、偶然、耳にしたプロレス入場曲特番は、

僕の人生にも一本、芯が通っていたことを思い起こさせてくれました。