僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

頑張ったことがあったかな、俺?

飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、今日も振り返り?ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

 

昨日は、倅の就活と絡めながら、

僕のこれまでについての、ザクっとした振り返りについて報告しました。

 

中途半端に研究者というやくざ稼業を送り、

中途半端に心と体を壊し、

そして中途半端に老後の夢に向かっている。

昨日はそんなふうに、特に卑下したわけではなく、

自分の人生のこれまでについて、中途半端というキーワードでまとめてみました。

 

一般的には中途半端という言葉に対しては、マイナスのイメージが付与されると思います。

もちろん、僕は、僕自身のこれまでについて、マイナスのイメージでくくろうとは思っていません。

中途半端の対極におかれる言葉としては、努力とか、一生懸命といったあたりが挙げられるでしょうね。

 

そこで、僕はこれまで、何かに対して努力して、一生懸命、頑張ってきたかと考えてみると、

少なくとも、努力や頑張るといったキーワードは、しっくりきません。

 

高校生までは、勉強に関しては田舎の優等生だったのですが、

僕に勉強を頑張った記憶はありません。

数学や物理といった理系の科目は、ほとんどパズルに取り組むようなゲーム感覚でした。

ゲーム感覚で楽しむ要素の少ない科目の成績は、見事にそれなりでした。

 

大学に入学した後も、

デザイナーとしての実技訓練に取り組んでいた時も、

劣等生なりにやりがいを感じながらやってました。

理論研究にシフトしてからは、大学での学習に生きがいすら感じていました。

 

音楽に関していえば、

やるなといわれてもやっていました。

楽器の練習はもちろん、勝手に作曲の勉強もしてました。

 

大学で教えることになってからも、

仕方なしに取り組んでいたわけではありません。

研究も好きでしたが、その成果を若者たちにぶつける仕事にもやりがいを感じていました。

 

ホンマに、ある意味で遊び倒してきた人生だったかもしれません。

 

ですので、努力や頑張るといったキーワードには、抵抗感があります。

 

断酒ライフ・サバイバルについても、

入門直後に離脱症状に苦しまされることもなかったため、

辛さよりも、楽しさや達成感の方が強く感じられます。

 

以前にも報告しましたが、

勤め先の大学の学生から学習やキャリアに関して相談を受けるときにも、

努力というようなキーワードを用いてアドバイスすることには抵抗があります。

自分の中に、「おまいう」(お前が言うな)感が現れるのです。

 

まだまだ現役意識バリバリですので、結論付けるわけにはいきませんが、

多分僕は、僕の人生を、いい意味で中途半端に楽しんできたんだろうなと思います。

 

何かを究めること、そしてそのために最大限の努力を払うことに対して、

一般的には賛辞が贈られます。

でも、努力を究めることは、究極の際を覗くような危うさを伴うこともあるでしょう。

僕たちのように、一度、精神の際をのぞき込んでしまった人間にとっては、

努力のような、文句なしにポジティブに見えるような言葉には、警戒が必要かもしれません。

時に強く、時に弱く、しなやかに構えることが、断酒サバイバーの一つの生き方かもしれませんね。

ちょっと、自分に対して甘すぎるかな。