僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

コリアン・ディアスポラ

飲酒歴40年、断酒歴4年と7か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル61。

本日もリスボンの、アイデンティティーを探る・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

ディアスポラ Diaspora 。

本来は、バビロンの捕囚以降、故郷を失い、

世界的な規模で流浪の民となったユダヤ人を指す言葉だそうです。

 

f:id:skyoflisbon:20200830204355j:plain

 

僕自身がこの言葉に初めてであったのは、

3年前のヴェニスへの調査出張の折でした。

 

ヴェニスのギャラリーを見て回る中で、

Diaspora Pavilion という展覧会に出会いました。

いろいろな出自をもち、

表現形態も多様な作品が展示されていました。

その時は、ディアスポラという言葉の意味については、

あまりよく分かっていませんでしたが、

移民や民族の移動に伴う文化のぶつかり合いが共通するテーマだろうなと思って、

展示に没頭しました。

 

最近になってこの言葉の使われ方が気になり、

少しずつ調べ始めています。

僕たち、在日韓国・朝鮮人も、

ディアスポラという言葉の対象になるかもしれないと思ったからです。

そして、いくつかの学会で、

「コリアン・ディアスポラ」という概念が用いられていることを知りました。

 

在日3世として生まれ、

日本人女性と結婚し、授かった二人のこどもたちは、日本人として育て、

そして僕も帰化し、日本国籍を取得しました。

僕はいわば、中途半端に韓国人?であり、

そして中途半端に日本人です。

多分、僕は、コリアン・ディアスポラでしょう。

 

それから僕は、生まれたのは京都ですが、

生まれてすぐに静岡県の下田に移り、高校時代までを下田で過ごしました。

しかし今では、僕が育った町、下田と僕をつなぐものは、全くありません。

この意味では、日本国内に意味を限っても僕は、故郷を失ったディアスポラです。

 

そしてもう一つ、僕の研究者としての経歴にも、

ディアスポラ的な要素があります。

20世紀のヨーロッパのデザイン史の研究者であり、

広い意味での美術史研究者であった僕は、

今では、障害学と芸術学の架橋を目指す、社会学社会福祉の専門家になりました。

 

僕のディアスポラとしての経歴には、

しかし全く悲劇的な要素はありません。

常に自らの意志を確認し、納得しながら、人生を送ってきたつもりです。

 

でも常にどこかで、

僕のディアスポラ・ライフのもたらす不安定を感じていたような気もします。

 

コリアン・ディアスポラとしての僕の人生、

少年時代の故郷を捨てたディアスポラとしての僕の人生、

そしてアカデミック・ディアスポラとしての僕の人生。

人は自らのアイデンティティーを確立し、安定させる義務があるのかどうか、

いくつになっても新しい出会いを求めようとする幼さは罪なのか。

 

いろいろ考えながら、

WMS 「ワシャ―飯食ったかのう症候群」と闘います。

 

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。