僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

静かな一日、でも少し手ごたえ

飲酒歴40年、断酒歴6年と7か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、静かな興奮・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

 

今日は過ごしやすい一日でした。

まだ酷暑が終わったわけではないでしょうが、

湿度もそれほど高くはなく、少しだけ秋の気配が感じられました。

そんなイベントレスな一日、どこにも行かずに静かに過ごしました。

 

アルコール使用障害当事者。

そして、在日コリアンディアスポラ

どちらも僕のアイデンティティー、自己同一性証明のパーツを形成する概念です。

ただどちらも、僕の公式のプロフィールに記すことはあまりありません。

 

僕の公式プロフィールは、某美術大学教授という肩書が中心になり、

場合によってはジャズ・ピアニスト、ヴォーカリストという肩書?が付け加わります。

 

しかし僕の生き方を考えるうえで、

薬物使用障害当事者と在日コリアンディアスポラという要素は、

絶対に外すことはできません。

この二つの概念が表に出てくることはありませんが、

どちらも僕の公式のプロフィールにとって欠くことのできない重要な前提条件です。

 

そしてこの二つの要素は、どちらも社会の中の多数派にはなりえないという共通点があります。

僕は少数当事者という生き方をしてきました。

 

もっともよく考えてみると、

生活のあらゆる面すべてが社会的多数者に属するなんて言う人はいないでしょうね。

誰もが何らかの意味で少数者というアイデンティティー要素をもっているというのが実際でしょう。

つまりマイノリティーと分類される人のほとんどが、

マイノリティーという名のマジョリティーなのかもしれません。

 

僕が芸術学に軸足を置きながら、障害学という新しい社会学に魅かれていったのは、

マジョリティーを自認する者たちによる、

自らの特権階級制を保持しようとするある種の悪だくみに対して、

憤りを感じていたからかもしれません。

へその曲がったやつは、曲がったへそを正当化し、理論化することに命をかけたのです。

 

最近、性的少数者やクイアについての社会学的な論文を読み込んでいます。

その中で、ひとつ、おもしろい思考の方法論を知りました。

僕の現在の力量では翻訳できませんので、英単語そのままで示します。

Disidentification.

Identification つまり自己の概念化について、

Dis という否定を表す接頭辞を付けて、その絶対性を相対化しようとする考え方です。

 

学術的な考察の出発点は、不明なものに対して名前を与えること、

つまり Identification にありますが、

Disidentification はその方法の絶対性に揺らぎを与えることを目指します。

 

僕はこの Disidentification という考え方について、まだ十分に咀嚼できてはいませんが、

久しぶりにアカデミックな興奮を感じています。

おそらく日本の学術の世界でも、まだ注目されていない考え方だと思います。

 

でも僕たちのような、常に社会の誤解と対峙しなければならない少数者にとっては、

とても力強い新しい視点をもたらしてくれるような予感がしています。

僕の複雑な理論に対する理解力は、若いころに比べると明らかに落ちていますが、

しかしこの久しぶりのワクワク感を大事にして、

少し時間をかけて理解を深めていこうと思っています。

断酒ライフの有意義さを知った断酒者には、立ち止まることはできません。

(ちょっとカッコつけすぎたかも。)