飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。
本日もリスボンの、今日は勉強してきました・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
タイトル通りです。
宇治市に今週の月曜日にオープンしたウトロ平和祈念館に行ってきました。
この記念館がどういう施設なのかということについては、
ホームページで確認していただくことにしまして、
僕にとっての意味づけについて簡単に紹介します。
僕は現在は日本国籍を取得していますが、
元々は、在日コリアンの3世です。
宇治市ウトロ地区は、
第二次世界大戦中に京都南飛行場の建設のために徴用された在日コリアンたちが、
敗戦後も様ざまな理由で暮らし続けた地域で、
昨年、愚かとしか言いようのない青年によって放火事件が起こされたことでも知られています。
僕自身は、ウトロ地区のコリアンたちとの個人的なつながりは全くありません。
しかし今回、ウトロ地区の当事者たちのみならず、
彼らの生きざまに対して共感を寄せた日本人たちの支援もあり、
ウトロ地区で暮らし続けているアボジやオモニたちの、
過去、現在、そして今後について考えるための資料展示館として、
この施設は設立されました。
僕は僕自身を、在日コリアンというよりも、
在日コリアン・ディアスポラという、少しばかりややこしい位置づけで捉えていますが、
人生の半分以上を過ごしてきた今という時点で、
この施設やこの施設の設立や運営にかかわっている人たちとは、
関りをもつべきであろうと考えました。
僕は、在日コリアンの運動に直接、かかわりをもつつもりはありません。
しかし、全く無関係を決め込むこともあまり面白くありません。
そこで、ここ2,3年ほどで僕の中で醸成されてきた、
僕自身のアイデンティティーについての意識をもちながら、
主体的に、でも積極的に身を引きながら(?)、考えていけるのではないか、
そしてその過程を誰かと共有してもいいのではないかと思えるようになりました。
今日の訪問は、そのための種まきのような狙いがありました。
ウトロ平和祈念館の資料館としての規模は、決して大きくはありません。
学芸的な観点からは、物足りない点もありました。
でも展示されていた資料は、興味深いものばかりでした。
人びとの地域での生活ぶりを示す展示品の多くは、
僕の幼いころの記憶と響き合うものでした。
またウトロ地区の居住権や土地所有権に関する裁判資料の多くは、
現在も係争中であるということもあり、
生ものだけがもつ迫力を帯びていました。
設立にかかわった専門家の方とも面識を得ました。
事務局長とも名刺交換ができました。
事務局長には、僕がピアニストであることもお伝えしました。
僕の今後の人生のための新たな種まきになったかどうかは、
今後の展開を俟つことにします。