僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

昭和のおっさん

アル症と肝硬変、そしておっさん(おっさんって病気だったっけ?)、三重苦を楽しむ生意気な57歳、リスボンです。

本日もリスボンの、自分勝手・有害無益・ノープラン・ブログ、ご訪問、ありがとうございます。

さて、何回か報告してますが、久しぶりの大学での講義と演習、復活しています。

病気明けに限らず、長期の休暇明けの授業、どうしても力が入りすぎるのですが、
今回は、ほぼ半年のブランクを置いての復活、頑張り過ぎてるかもしれません。

月曜日1時間目の「英語入門」、90分間、全部英語で授業を行うという無謀なチャレンジ、
なんぼ、簡単な英語を使っているとはいえ、結構、疲れますよ。

それから講義科目なんですが、今期に入ってから僕がやたらと連発してしまうフレーズがあります。

「昭和のおっさん、なめんなよ」

別に学生諸君に喧嘩を売っているわけではありません。
今の学生諸君、生まれた時から生活空間にデジタル機器が当たり前のようにあったわけですが、
僕たち、昭和を知っている人間は、
アナログからデジタルへの、あの社会全体の、ある意味で暴力的ですらあった激変について、
目撃していますし、当事者として関わってきたわけです。

つまり僕の発する「なめんなよ」は、喧嘩を売っているのではなく、
君たちと僕たちの間には、大きな文化的ギャップがあるよ、という宣言なのです。

僕は僕の生きてきた歴史を否定する気は全くありませんし、
無理に今の風潮に合わせるのも嫌です。

今の若造どもが聴いている音楽、耳にするのも嫌です。

しかし、若者たちとのコミュニケーションを拒否しようというのでもありません。
というよりも、そうしてしまうと、自分自身の職能全般を否定することになってしまいますしね。

あくまで、僕と君たちとの間には、大きな経験上の違いがありますよ、
君たちにとって当たり前のことが、僕には理解できないこともあるし、
君たちが知り得ないことを僕たちは経験してきたかもしれませんよ、
バックグランドが違う者同士、縁があって出会っちゃったんだし、
そこからおもろいものを見つけようぜ、

というのが「昭和のおっさん、なめんなよ」という、
一見、ウゼェおっさんの啖呵の裏にある本音です。

57歳、おっさん度の高さ、おじさん臭さのどうしようもなささ、否定できません。
おっさんはおっさんとして、わけぇのと付き合っていきますよ。

(したがって、俺の授業中は、スマホに触るんじゃねぇぞ、ええか)

スンマセン、品の悪い終わり方で。
カラ元気かもしれませんが、皆さんも僕も、今日も(明日も)ご機嫌さんで
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。