少しずつ、いつもの元気なアル症・肝硬変、はた迷惑高齢者に戻りつつあります、リスボン、58歳。
本日もリスボンの、恐ろしい仮定法過去・ノープラン・ブログ、ご訪問、ありがとうございます。
本当に少しずつですが、食べ物も飲み物ものどを通るようになってきました。
昼食では少しばかり頑張って、バナナ1本、リンゴ2分の1、レモン入りヨーグルト、100㏄程をいただきました。
もちろん食後はみぞおちのあたりの痛みが少しばかり続きましたが、
昼ご飯を頑張ったことによって、夕ご飯も少し多め(といってもご飯、半膳ほど)にいただくことができました。
昼ご飯を頑張ったことによって、夕ご飯も少し多め(といってもご飯、半膳ほど)にいただくことができました。
何とか月曜日には、授業ができるくらいには回復しているでしょう。
しかし、恐ろしや、ガン切除、直後。
で、ふと思ったのですが、もし僕が肝硬変にもなっておらず、そしてアル症も診断を受けていない状態で、
ガンを発症し、治療を受けていたらどうなっていたでしょう。
ガンを発症し、治療を受けていたらどうなっていたでしょう。
ここでポイントは、アル症は診断を受けていないだけで、おそらくは発症しているであろう、ということです。
僕のこれまでの人生を振り返ってみると、おそらく遅くとも40代初めには、アル症になっていたでしょう。
もしかすると、30代、あるいは20代だったかもしれません。
もしかすると、30代、あるいは20代だったかもしれません。
いずれにしても僕の場合、身体的な健康を保ちながらも、
明確な社会的問題を起こしていないにもかかわらず、その飲酒特性はかなり早い時期から、アル症であったと結論付けてよさそうです。
明確な社会的問題を起こしていないにもかかわらず、その飲酒特性はかなり早い時期から、アル症であったと結論付けてよさそうです。
さてそんな男ががんの摘出手術を受けました。
入院中しばらくは、完全絶飲食です。
その後絶食となり、
やがては無理せんといてね、消化のいいものを食べてね、と言われながら退院します。
その後絶食となり、
やがては無理せんといてね、消化のいいものを食べてね、と言われながら退院します。
さぁ、アル症ですから、ここぞとばかりに早速、ぐびぐびと行きます。
当然、おなかは痛くなります。
ガンを切除した内部の傷はまだ完治していません。
ガンを切除した内部の傷はまだ完治していません。
しかし、痛みは酒で取るべしとばかりに、さらにぐびぐびとやります。
胃壁も酔いの影響を受けて痛みを感じなくなるでしょう。
そうするとこのアル症男、
やっぱ酒は百薬の長じゃのぉ、いっぺんに楽になったわ、
と勘違いし、さらにぐびぐびと行きます。
胃壁の傷の直りはさらに遅れるという悪循環に陥りますが、
やっぱ、俺、酒、すきやわ、酒さえあれば、下手な薬、要らんわ。
と勘違いに上塗りを重ねるでしょう。
これこそが依存症の恐ろしさの一つでしょう。
好きではなくて依存が形成されているから飲む、それも味わいを楽しむというレベルではなく、一定の精神の混乱状態までは飲む、
しかし本人、脳みそが壊れてますから、
美味いのぉ、酒は素晴らしいわ、
てなことを思いながら、ますます飲む。
しかし本人、脳みそが壊れてますから、
美味いのぉ、酒は素晴らしいわ、
てなことを思いながら、ますます飲む。
この生き物を人間と呼んではだめですね。
僕たちは人間を簡単に放棄できる存在にまで成り下がってしまったのですね。
あなた、酒、やめますか、それとも人間やめますか。
昔は、そんな大げさな、と思っていましたが、この究極の選択が現実のものになりました。
ガンになる前にアル症を自覚できてよかったかも、いやホンマ。
僕たちの病気は、重篤です。
ですが、それを跳ね返すためにもいつものように、