本日もリスボンの、辛い思い出・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
無事に帰国し、通常の生活に復帰しましたが、
時差ボケ解消のための帰国移動のタイムスケジュール、日本時間で書き出して見ましょう。
時差ボケ解消のための帰国移動のタイムスケジュール、日本時間で書き出して見ましょう。
8月30日午後4時 ホテル発(トリノ)
同 午後5時 トリノ大学訪問
同 午後8時 トリノ駅発 列車乗車
同 午後9時30分 ミラノ・ガルバり駅到着
同 午後11時 ミラノ・ガルバり駅発 列車乗車
同 午後12時 31日 午前0時 ミラノ・マルペンサ空港着
8月31日 午前3時 搭乗チェックイン
同 午前5時 マルペンサ空港離陸
同 午後4時 韓国・インチョン空港着陸
同 午後7時15分 インチョン空港離陸
同 午後9時 関空着陸
同 午後11時 京都駅着(空港リムジンバス)
同 午後12時 最寄り駅到着 10分で自宅
9月1日 午前1時 就寝
同 午後5時 トリノ大学訪問
同 午後8時 トリノ駅発 列車乗車
同 午後9時30分 ミラノ・ガルバり駅到着
同 午後11時 ミラノ・ガルバり駅発 列車乗車
同 午後12時 31日 午前0時 ミラノ・マルペンサ空港着
8月31日 午前3時 搭乗チェックイン
同 午前5時 マルペンサ空港離陸
同 午後4時 韓国・インチョン空港着陸
同 午後7時15分 インチョン空港離陸
同 午後9時 関空着陸
同 午後11時 京都駅着(空港リムジンバス)
同 午後12時 最寄り駅到着 10分で自宅
9月1日 午前1時 就寝
日本時間の30日の午後4時から、9月1日の午前1時までの、1日と少し、
飛行機の中で少しだけ睡眠をとり、後はできるだけ起きていました。
寝不足の状態で自宅に戻ることで、早めに日本時間の睡眠スケジュールに戻すためです。
飛行機の中で少しだけ睡眠をとり、後はできるだけ起きていました。
寝不足の状態で自宅に戻ることで、早めに日本時間の睡眠スケジュールに戻すためです。
最初にも書きましたように、無理やり睡眠時間を削ったうえで、座ったままとはいえ、地球を三分の一周移動したわけですから、
やはり疲れていますよ。
でも、予定通り、睡眠スケジュールの調整は1日でできそうです。
やはり疲れていますよ。
でも、予定通り、睡眠スケジュールの調整は1日でできそうです。
さて、一昨年のほぼ同じころ、8月の末にもフランス、スイス、イギリスを訪ねる調査出張に出かけております。
そのころは、現役の大酒のみでしたので、
もっとも滞在日数の長かったパリでは、
ホテルの近くのストリートテラスで、一品つまみながらビールを飲むのが夕食の定番でした。
そのころは、現役の大酒のみでしたので、
もっとも滞在日数の長かったパリでは、
ホテルの近くのストリートテラスで、一品つまみながらビールを飲むのが夕食の定番でした。
そして事件は帰りの便で起きました。
最終日の早朝、ロンドンのホテルを発った僕は、ヒースロー空港には9時前につきました。
そしてオランダのスキポール空港でトランジットを過ごしたのですが、
そのスキポールで時間が中途半端に空いてしまったのと、
WiFiにつながらなかったので、
現地時間の午前11時から、空港内の免税店で購入したワイルド・ターキー(ケンタッキー・ウイスキー)の中瓶を、
直にぐびぐびと飲み始めたのです。
そしてオランダのスキポール空港でトランジットを過ごしたのですが、
そのスキポールで時間が中途半端に空いてしまったのと、
WiFiにつながらなかったので、
現地時間の午前11時から、空港内の免税店で購入したワイルド・ターキー(ケンタッキー・ウイスキー)の中瓶を、
直にぐびぐびと飲み始めたのです。
もうこの頃までにすでにごくたまにですが、朝飲みをすることがありました。
そしてその時は、早めに酔ってしまうことで睡眠時間を早め、時差ボケを解消しようという狙いがありました。
時差ボケの強制的矯正という目論見は、成功しました。
スキポールである程度酔った状態で飛行機に乗り込んだ僕は、
機内でもワインを飲み続けました。
そして機内感覚の午後5時くらいには、うとうとと眠っていました。
スキポールである程度酔った状態で飛行機に乗り込んだ僕は、
機内でもワインを飲み続けました。
そして機内感覚の午後5時くらいには、うとうとと眠っていました。
もちろん今では言い訳にもなりません。
しかしこのオランダの空港でのいたずらが、僕のアル症の確定的顕在化を早めたのは確かでした。
しかしこのオランダの空港でのいたずらが、僕のアル症の確定的顕在化を早めたのは確かでした。
その後の僕は、目覚めに焼酎をくいッとひっかけることが日常化していくようになっていきます。
そしてその3か月半の後、肝硬変のため、入院し、断酒ライフに入門することになったのです。
今思えば、肝硬変とアル症の顕在化を早めたことによって、断酒ライフへの入門が早まったとも考えられます。
肝硬変の悪化は僕にとって自業自得とはいえ、悪夢でした。
しかし、半ば強制的に断酒を受け入れざるを得ない状態に追い込むことになったことは、
結果としてよかったのかもしれません。
しかし、半ば強制的に断酒を受け入れざるを得ない状態に追い込むことになったことは、
結果としてよかったのかもしれません。
悪夢であるとともに、生まれ変わるためのきっかけにもなったのかもしれません。
もう、不気味な奴にはなりません。