僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

張りぼてのヨーロッパ?

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しばらくはヨーロッパぼけが続きます、アル症・肝硬変、58歳、リスボン
面倒なやつですが元気です。

本日もリスボンの、知ったかブリブリ・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


今、韓国時間(日本と時差はありません)8月31日、午後5時30分、インチョン空港で書いています。

昨晩?ミラノから飛行機に乗り、10時間半の拘禁状態に耐え、半日間分の時間をどっかで強制的に奪われた状態です。
眠いのか眠たないのか、よう、分かりません。

いずれにしても、前信でも記しましたように、
断酒ライフ・イン・ヨーロッパ、無事、成功いたしました。

写真ですが、いずれも今回の出張の目的地の一つ、ドイツ北部の都市、ミュンスターで撮影したものです。

1枚は、10年に一度の現代美術の一大イベント、ミュンスター彫刻プロジェクトの出品作品の一つ、
もう1枚は、ミュンスター中心部にあるとある教会の側面からの撮影です。

これら二つは、直接的には関係はありません。

しかし、近代以前のヨーロッパ建築の特徴の一つである、ファサード(正面)中心主義という感覚で、相互に通底するものがあるようです。

作品の方は、教会建築の問題だけではなく、もっと広い意味で、人工物と人間と自然の関係、つまり広義の環境と美意識に関するテーマに焦点を当てていると考えることができそうです。

そして教会の方は、まさに建築の正面だけが、建築の本体であるべき内部空間と相互の依存関係を保ちながらも、独自の記号的差延として現れていることを、いみじくも示してしまっています。

僕たち、ヨーロッパ文化の研究者の基本スタンスは、やはり研究対象に対する敬意に基づいています。

しかしこの2枚の写真からは、ヨーロッパの伝統的な文化の中にも、表層主義的な(表向きを何よりも大事にする考え方といってもいいでしょう)薄さが潜んでいることを読み取ることができます。

どんな存在にとっても、外部に晒す顔は大事です。
建築物は、その内部空間の意味的機能性を表面に表出する必要がありますし、
僕たち、社会生活を営む生き物としての人間も、自らのアイデンティティーを時には無意識のうちに、そして時には意識的に表現します。
また僕たちは、他の人たちの表向きの現れからその人のアイデンティティーについて判断しますし、そしてその判断がむちゃくちゃ狂うことは、あまりありません。
多分、ジェンダー(社会的・文化的性差)は、外面への表出と外面からの判断が社会的・文化的に当たり前なほど、表層と本質の関係の強さを象徴しています。

ヨーロッパの教会建築のファサードが、建築家や彫刻家を始めとする多くの美術職人たちの最大限の努力の結晶であることは、当然のことです。

しかし、だからと言って、ここまでファサード張りぼて式の表看板に貶めてよいのでしょうか。

写真の彫刻プロジェクトの出品作品の意図については、これから調べていきますが、僕の感覚はそれほど外れてはいないと思います。

そして僕たち、断酒生活者です。
断酒生活者は、おそらく自覚していない、あるいは自覚してはいるけれど他者に対しては絶対に認めないアル症者について、自らの経験に基づいて、少しばかりの観察で判断を下すことができるでしょう。

たとえ張りぼて状態であったとしても外見を繕うことは、意外にも大事なことかもしれません。
もちろん、中身を完全に裏切る張りぼては、犯罪的です。

しかし僕たち断酒生活者は、断酒ライフの継続の必要性を自らに言い聞かせ、そして自らの励みにするために、断酒生活者としての外見に心を配っても良さそうです。

もちろん、背伸びして中身の伴わないオシャレやライフスタイルを送る必要はありません。
ほんまの張りぼては、見る人が見れば絶対にバレるしね。

外見(表層)と中身(本質)のバランスのとれた一致を目指しましょう。
僕たちは、一度心を患った人間です。
僕たちはその辛い経験の中で、ネガティブな要素をポジティブな生き方に活かすアドバンテージを知ったはずです。

僕たちが幸せに暮らすことは、必ず誰かの幸せにつながるに違いありません。

ちょっといい子ちゃんぽい中身になりましたが、
いい歳こいていつまでも青春の青臭さを捨てないのが、このリスボンというはた迷惑男のアイデンティティーの一つです、ごめんなさい。

ということで
皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。