僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

戒名

飲酒歴40年、断酒歴2年と2か月、不良初期高齢者、リスボン、59歳。

本日もリスボンの、罰当たり?ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


すみません、抹香臭いタイトルで。


僕は今自分自身が高齢者になったことを自覚しつつも、
老人が嫌いです。

前にも書きましたが、
高齢者介護施設でのボランティアもかなり長いことやっていました。

でも、正直に書けば、
年寄りは嫌いです。

何が嫌いなのかなぁ。


一つ考えられるのは、
やはり僕が在日の家に生まれたがゆえに、
非常にねじ曲がった(としか僕には思えなかった)高齢者への尊敬を強制されたことがトラウマとなっているのでしょう。

何回か書きましたが、
われわれ朝鮮・韓国民族は、
儒教的な家父長制度をマンガ的なまでに曲解した形で伝承してきました。

たとえ明らかに間違っていても、
年長者の言うことには従わなければなりません。

そしてその頂点に君臨するのが、家父長です。

そしてその家父長制をサポートするのが、女性の役割でした。


そんな伝統の中で目上の者の理不尽な指示に従うことが良しとされていたこと、
僕は幼いころから生意気でしたので、
おかしいなと思いつつ、
こどもですから表立って逆らうこともできずに、
内側に反感のマグマをため続けてきたようです。


でこの頃の僕のマンガチック家父長制への抵抗意識は、
おやじに向かっています。

おやじというのは、僕の父親のことです。

とにかくおやじと一緒にいること自体が、
うっとおしいことこの上ない。

どうぞ、親不孝者と非難してください。

非難されても、おやじはめんどくさい存在でしかありません。


で、タイトルの件なのですが、
年末に亡くなった弟のことなんです。

僕は仏教の教えには非常に惹かれますし、
ブログでも報告していますように、
お寺を訪ねた際には、仏さまに手を合わせます。

で、少し前におやじが弟の戒名のことで相談してきたのですが、

はっきり言います。

僕にはどうでもいい!

というよりも、銭をとって戒名をつけるという葬式仏教の専門家を僕は仏教徒とは思えない。
多くの僧侶が、お布施の額に合わせて戒名の格を考えるんだそうですね。

そんな生臭どもに弟の戒名をつけてほしいとはこれっぽっちも思わない。

というよりも、虫唾が走ります。

というわけで、
電話で露骨に拒絶しましたが、
おやじは戒名をもらってきました。

そして今日、別件で会ったのですが、
まず、僕に戒名のお札を見せました。

僕も多少は大人ですから、?
今日はおとなしくちらとだけ見ました。

しかし、何ともいえない、いやな気持ちであったことは事実です。


高齢者は、もちろん、僕も含めてですが、
記憶力も、理解力も、そして思考力も落ちていきます。

ところが儒教的な教えをマンガチックに曲解すると、
高齢者の劣った判断に基づく主張が重視されるのです。

この高齢者への無駄な忖度の強要は、
恐らく、アルコール依存症者を生み出す社会的な要因の一つでしょう。

朝鮮半島出身者にアル症が多い印象があるのは、
このことと無関係ではないでしょう。


僕自身は遺言として戒名を拒否することを明記しておこうと思います。

スンマセン、いい歳こいて、青いっす。

でも青くても、

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。