飲酒歴40年、断酒歴2年と2か月、不良初期高齢者、リスボン、59歳。
本日もリスボンの、罰当たり?ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
すみません、抹香臭いタイトルで。
僕は今自分自身が高齢者になったことを自覚しつつも、
老人が嫌いです。
老人が嫌いです。
でも、正直に書けば、
年寄りは嫌いです。
年寄りは嫌いです。
何が嫌いなのかなぁ。
一つ考えられるのは、
やはり僕が在日の家に生まれたがゆえに、
非常にねじ曲がった(としか僕には思えなかった)高齢者への尊敬を強制されたことがトラウマとなっているのでしょう。
やはり僕が在日の家に生まれたがゆえに、
非常にねじ曲がった(としか僕には思えなかった)高齢者への尊敬を強制されたことがトラウマとなっているのでしょう。
たとえ明らかに間違っていても、
年長者の言うことには従わなければなりません。
年長者の言うことには従わなければなりません。
そしてその頂点に君臨するのが、家父長です。
そしてその家父長制をサポートするのが、女性の役割でした。
そんな伝統の中で目上の者の理不尽な指示に従うことが良しとされていたこと、
僕は幼いころから生意気でしたので、
おかしいなと思いつつ、
こどもですから表立って逆らうこともできずに、
内側に反感のマグマをため続けてきたようです。
僕は幼いころから生意気でしたので、
おかしいなと思いつつ、
こどもですから表立って逆らうこともできずに、
内側に反感のマグマをため続けてきたようです。
でこの頃の僕のマンガチック家父長制への抵抗意識は、
おやじに向かっています。
おやじに向かっています。
おやじというのは、僕の父親のことです。
とにかくおやじと一緒にいること自体が、
うっとおしいことこの上ない。
うっとおしいことこの上ない。
どうぞ、親不孝者と非難してください。
非難されても、おやじはめんどくさい存在でしかありません。
で、タイトルの件なのですが、
年末に亡くなった弟のことなんです。
年末に亡くなった弟のことなんです。
僕は仏教の教えには非常に惹かれますし、
ブログでも報告していますように、
お寺を訪ねた際には、仏さまに手を合わせます。
ブログでも報告していますように、
お寺を訪ねた際には、仏さまに手を合わせます。
で、少し前におやじが弟の戒名のことで相談してきたのですが、
はっきり言います。
僕にはどうでもいい!
そんな生臭どもに弟の戒名をつけてほしいとはこれっぽっちも思わない。
というよりも、虫唾が走ります。
というわけで、
電話で露骨に拒絶しましたが、
おやじは戒名をもらってきました。
電話で露骨に拒絶しましたが、
おやじは戒名をもらってきました。
そして今日、別件で会ったのですが、
まず、僕に戒名のお札を見せました。
まず、僕に戒名のお札を見せました。
僕も多少は大人ですから、?
今日はおとなしくちらとだけ見ました。
今日はおとなしくちらとだけ見ました。
しかし、何ともいえない、いやな気持ちであったことは事実です。
高齢者は、もちろん、僕も含めてですが、
記憶力も、理解力も、そして思考力も落ちていきます。
記憶力も、理解力も、そして思考力も落ちていきます。
僕自身は遺言として戒名を拒否することを明記しておこうと思います。
スンマセン、いい歳こいて、青いっす。
でも青くても、