僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

社交性の欠如の現われだったかも

飲酒歴40年、断酒歴5年と10か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、今日も振り返り・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

昨日は、寝酒という飲酒習慣に潜んでいる危険性みたいなものについて考えました。

今日は、純粋に嗜好品としての酒愛好に潜んでいる危険性について考えてみたいと思います。

 

飲酒者の頃の僕は、

「俺は酒そのものが好きなんじゃ。

飲料としての酒の味わいが好きで酒を飲む、

だから肴も要らなければ、誰かと一緒に飲む必要もない。

ハードボイルドでピュアな酒好きなんじゃ。」

と威張ってました。

 

若いころの僕は、

夕食は夕食として全く酒なしで済ませてから、

腰を入れてウィスキーのような強い酒を、それも何の当てもなしにぐびぐび飲む、

ホンマに危険な酒飲みでしたし、

飲酒者としての晩年の頃の僕は、一日の中の時間は全く関係なく、

お茶よりも水よりもスムーズに焼酎を体に流し込む、

危険極まりない、酒濾過機に成り下がっていました。

 

誰かと一緒に飲む酒も好きでしたが、

酒を楽しむために誰かに声をかけるということは全くありませんでした。

相手によっては、酒を楽しむ時間を共有するよりも、

早く別れて一人で飲みなおしたいと思うくらいでした。

 

普段の僕は、多分、表面的には社交的に見えると思います。

でも一人酒を何よりも好んだ行動特性から考えると、

他人との関りを早々と拒否するために、深酒に走っていたような気もします。

 

アルコールの摂取は、大脳の働きを鈍らせます。

しかし摂取した当人は、部分的な感情が刺激されたことにより、

大脳の働きが鈍ったことに気がつかず、感覚が鋭くなったかのように誤解します。

そして飲酒によって他者とまともにコミュニケーションを図る知性を失い、

鋭くなったかのように誤解した感性ゆえに、他者を遠ざけるようになります。

単に社交性を失っただけに過ぎなかったのに、

何か特別な感性をゲットしたかのように勘違いし、

アートの世界に遊んでいたかのように誤解していただけかもしれません。

 

僕は漢詩は全く理解しませんが、

漢詩には飲酒を讃える内容のものが多いと聞きます。

漢詩に限らず、詩にはアルコールを礼賛するものが多いようですが、

多分、どれも、危険な勘違いに基づいているんでしょうね。

 

やはり一人酒は危険な習慣でしょう。

一人酒による寝酒の過剰な摂取は、アルコール使用障害発症への王道かもしれません。

この危険性についても、僕たちの後輩を増やさないためにも、

必要とあれば、発言していこうと思います。

 

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで、

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。