僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

飲酒者は下戸によって守られている?

飲酒歴40年、断酒歴8年と1カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。

本日もリスボンの、ちょっと思いつきました・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

本ブログは、本来は、断酒ブログです。

断酒ライフに入門した僕が、断酒ライフを継続するために運営しています。

ですので、断酒ライフに関する報告が文面の中心にならなければなりません。

しかしこの頃の本ブログの内容は、生活全般に関するものに広がり、

しかも最近は、不埒な恋物語?や、音楽活動ネタが中心を占めています。

スンマセン、運営者の不徳のいたすところです。

 

という訳でもないのですが、少しばかり軌道を戻しまして、飲酒について少し考えたことを。

 

おかげさまをもちまして、断酒ライフに入門して以来、ええことづくめです。

体調はもちろん、いいです。

精神的にも安定しています。

仕事に関していえば、組織人としては失格レベルの働きぶりですが、

個人の納得レベルでは、割と満足しています。

そして何よりも、人生の大きな目的を見つけました。

音楽活動に残りの人生、60年(予定)をかけます。

 

こうやって考えてくると、飲酒生活者であった40年間を後悔するのが普通でしょうが、

しかし僕の場合、飲酒歴40年の後に死の淵を覗き見る経験をし、

そこから帰らせていただくことができたことによって現在の僕がありますので、

第一義的に後悔の対象になりそうな飲酒者生活が僕の原点とも言えます。

 

でも何で、あんなに飲んだくれていたんでしょう。

飲酒者、それも使用障害を発症するほどの飲酒者には、それぞれの飲酒動機があったんでしょうが、

やはりアルコールに依存状態を形成する薬物効果があるという事実は外すことができないでしょうね。

 

アルコールは危険物質です。

考えようによっては、法律で取り締まられている他の薬物と同じくらいの悪質性が認められます。

 

ではなぜアルコールの摂取は法律で禁止されていないのでしょうか。

 

単純に考えれば、アルコールの摂取が必ずしも使用障害を招来するわけではなく、

いい意味でも悪い意味でも、薬物としての危険性の影響力に個人差が大きいからでしょう。

特に体質的にアルコールを受け付けない人たちの存在は大きいような気がします。

 

もしアルコールに、覚醒剤のような摂取した人の殆どを使用障害に導くような危険性があるとしたら、

アルコールの摂取は法律で禁止されていたでしょう。

しかしこの世の中には、少量のアルコール摂取で全く受け付けなくなる、

下戸と呼ばれれる人たちがいます。

下戸の皆さんの存在によって、

アルコールの薬物としての危険性の顕現がぼかされているとは言えないでしょうか。

 

だとすれば、飲酒者の飲む権利を担保しているのは、

やや遠回りになりますが、下戸の人たちの行動特性ということになりはしないでしょうか。

 

今日の段階では、ちょっと思いついただけなので、考察を深めることはできませんが、

少しばかり裏筋にも見えるこの論法、

また考えてみたいと思います。