飲酒歴40年、断酒歴8年と2カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。
本日もリスボンの、ちょっとした仮説?ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
今日も昨日と同様、特にどこかに行って活動する予定はなく、
その意味では日記の観点から報告することはございません。
そこで、飲酒者時代に当然のように思っていたことについて、
振り返りながら考えてみたいと思います。
「五臓六腑に染み渡る」、
一日の仕事を終えて最初の一杯を体内に取り入れた時によく使われる、
酒の美味さを表現するフレーズですよね。
アルコールが体の細胞の隅々にまで染み渡っていくことによって、
一日の最後の至福の時間がやってくることを直感的に表した慣用句といってよいでしょう。
この瞬間から一日の生活のフェーズが一線を越えていくことをよろこんでいるフレーズとも言えます。
でもよく考えてみると、不思議な言葉であり、不思議な感想ですよ。
五臓六腑に染み渡る飲料って、酒以外にありますか。
例えば、コーヒーやお茶も、一日の特別な意味をもった時間に好まれる飲料ですよね。
でもコーヒーやお茶の美味しさや効能について、
五臓六腑に染み渡るというフレーズで賛美することはあまりないんじゃないかな。
運動の後や、目覚めの際に飲む水は、
身体の渇きを癒し、まさに細胞に染み渡っていく感覚があるので、
五臓六腑に染み渡る感じが伴うかもしれません。
でもこのフレーズが一番似合うのは、やはり酒類でしょうね。
「五臓六腑に染み渡る」、これは素直に読めば、飲料の味覚に関する形容句ではありません。
まさに体全体が本能的に欲している状態に対する解決としての飲酒に対する感想ですよね。
つまり、身体全体が酒を欲しがっている、
まさに依存状態にあることを表しているフレーズといえるんではないでしょうか。
僕はコーヒーに対してこだわりが全くありませんので、
コーヒーに対する使用障害状態、
あるいは一般に言う依存症のような状態があるのかどうかは、知りません。
起床時の水に対する欲求は、睡眠中に水分が失われていることから、
正常な身体の反応といっていいでしょう。
でも酒を飲んで、心の底から「五臓六腑に染み渡る」と感じているとすれば、
それは心身全体がアルコールを要求してしまう状態になっている、
つまり使用障害、あるいは依存状態に陥っていることの証かもしれません。
もし喩えではなく、本当に酒を飲んで、「五臓六腑に染み渡る」感覚があるとすれば、
それはすでにアルコール使用障害状態にあると言えるのかもしれません。
僕は飲酒者末期においては、欲しいと思ったら、
コップに半量ほどの25度の焼酎をストレートであおっていました。
それは味わうというよりも、あるいは酔いたいというよりも、
細胞の一つひとつが僕に命じた結果の行動としか言えないような状態でした。
僕たち、アルコール使用障害当事者の経験は極端であるとしても、
アルコールの摂取に際して、「五臓六腑に染み渡る」快感を感じているとすれば、
それは危険な状態の兆候かもしれません。
そう考えてみると、案外、危険なフレーズといえるかもしれませんね。