飲酒歴40年、断酒歴7年と5カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。
本日もリスボンの、僕たちの疾病の原点を考える・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
突然ですが、僕は意志の力は時に大事だと思います。
多くのことにはここぞという頑張りどころがあり、
そのポイントを意志の力を発揮して克服することによって、
素晴らしい成果や成長が現れるということは、確かにあります。
しかしどれだけ頑張ってもどうしようもないということもあります。
そしてそのような、結果としてむだな頑張りが、
残念ながら当人の成長にも結び付かず、
ネガティブな結果しか残さないこともあるはずです。
つまり、何でもがんばればよい、
根性を発揮すればよいというものではないと思います。
しかしこの国では、
特に僕たちの世代が少年期を過ごしたころに顕著だったのですが、
意志の力至上主義、根性至上主義のような感覚が、
何と恐ろしいことに、教育現場にも染みついていました。
特に若い頃にスポーツの分野で成功体験を味わった大人に、
意志と根性を礼賛する精神構造の連中が多かったようです。
そしてそういう連中に言わせれば、僕たちアルコール使用障害当事者は、
意志の力が弱かったため、アルコールの魅力に抵抗しきれず、
ついに精神を支配されるまでに堕落してしまった、根性レスの典型だということになるのでしょう。
でもいつも僕は考えています。
僕たちは本当に意志の力が乏しかったのでしょうか。
そして逆に問い返したいのです。
飲酒の習慣をもちながらも使用障害に陥っていない連中は、
意志の力によって飲酒を制御できているのかと。
僕の場合、恐らく習慣飲酒状態に落ちてしまった18歳のころには、
酒を飲まない生活は考えられなかった。
何らかの理由で飲酒で一日を締めくくることができない日は、
とてつもなく空虚な感覚に襲われていたし、
そもそも、そのような事態にならないように、ありとあらゆる生活に関するスケジュールを、
確実な飲酒行為に結びつけて考えいた節があります。
その時の僕の意志のエネルギーは、
酒を飲まないことよりも、
確実に酒を飲むことのために使われていました。
つまり、僕には意志の力があり、根性があったのです。
二十歳前の僕が使用障害の状態にあったかどうかは、
もちろん、過去のことゆえに検証できませんし、
そしてアルコール使用障害の疾病学的な機序が解明されていない現在の医療では、
定義づけをすることも、診断することもできないでしょう。
薬物使用障害当事者は、意志の弱い連中だという決めつけは、
残念ながら問題の建設的な解決には全くつながらないでしょう。
僕の今日の論理だては、自己中心的で欺瞞に満ちているという批判の対象になると思います。
しかしそのような批判そのものが抑圧的であることについて、
僕は時に訴えかけていこうと思います。