僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

すんげー昔のこと

飲酒歴40年、断酒歴4年と9か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル62。

本日もリスボンの、初期の振り返り・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

今日は一日中大学におりました。

それも、夜7時前から対面での講義もありましたので、

ほぼ、12時間勤務。

ブラックか。

いえいえ、毎度のように、好き勝手していましたので、

プラチナ労働でした。

 

1日がとても充実していたのですが、

その1日からブログに拾えるネタが思いつきませんので、

僕の病気の初期のころについて、思い出してみます。

 

機会飲酒、習慣飲酒、そして連続飲酒へと続いていった挙句の果てが、

僕たち、アルコール使用障害者です。

僕の場合、習慣飲酒が深刻なレベルに至るのに、

30年以上かかっています。

しかし、機会飲酒から習慣飲酒への移行は、

18歳の段階で起きました。

 

伊豆半島の南の果てから京都の大学に進学し、

貧乏一人暮らしを始めた僕が、

習慣飲酒者に変わるのに、多分、2か月はかからなかったような気がします。

いや、もっと短かったかな。

とにかく大学生になってすぐに習慣飲酒者になっていたと思います。

 

僕は、このあまりにも短すぎる移行について、詳細は覚えていません。

つまり、この移行期に、これはまずい、

踏み越えてはいけないラインがあると感じたことは、

一度もなかったのです。

 

高校生の頃に一日の勉強を終えたのちに酒を飲むことの楽しさを知りました。

もしかすると、この禁断の一杯が受験勉強の励みになっていたかもしれません。

大学生になってからも、

慣れない一人暮らしの中での慣れない勉強を継続する動機づけとして、

飲酒行為を正当化していた可能性もあります。

 

もしかすると僕は生まれながらに、

アルコール使用障害に落ちるポテンシャルが人一倍、強かったのかもしれません。

この発想は甘えかもしれませんし、

動機の卑怯な正当化かもしれませんが、

しかし習慣飲酒に対する僕の異常な早熟?ぶりを説明するためには、

ちょっとした説得力もありそうです。

 

もしかすると、

使用障害発症の機序を探るための珍しい症例になるかもしれません。

専門的に研究している人の目に留まるかもしれませんので、

あえて書いておこうと思います。

 

僕は、僕たちの後輩がこれ以上現れないための研究には、

いつでも協力したいと思っています。

僕の記憶力が使い物にならなくなる前に、だれか僕を発見してください。

何とか頑張って、生き続けますので。

 

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。