僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

習慣飲酒と機会飲酒の境

飲酒歴40年、断酒歴6年と8カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、覆水盆に返らず・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

 

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そしてタイトルから気になるブログは実際に訪問して読んでいます。

断酒歴を明かしているブロガーさんも多く、

僕も結構、ベテランさんになったなぁと思います。

毎日、ブログをアップするようになってから6年以上がたちました。

 

最近の僕のブログですが、

断酒そのものをストレートにテーマにしたものは、かなり少なくなっています。

多分、現在の僕には飲酒欲求がほとんどないからだと思います。

最初のころは、例えば、夢の中でお酒を飲んでしまったとか、

泡の立つやつはやっぱり飲みたいなんてなことを書いていました。

でも現在は、ホンマに飲酒欲求そのものがありません。

ありがたいことです。

 

でも飲酒者のころは、

一日でも酒を口にできない日があろうものなら、

正常な精神状態を保つことはできませんでした。

脳みそを中心に、体全体がパブロフの犬になり、

どうすれば十分な量の酒を口にすることができるか、

そればかりを考え、そしてその実現のために行動してました。

僕のアルコール依存状態は、おそらく20代のころには成立していたと思います。

 

世の中には、酒は好きだが、

かつての僕たちのような依存状態は理解できないという人も少なくないことでしょう。

おそらく、そのような人が多数派だろうなと想像します。

 

そのような人たちと僕たちを分けているのは、

機会飲酒で楽しむことができるか、習慣飲酒が当然と思ってしまうようになったかの違いでしょう。

 

ここで一つの疑問、ただしこの疑問は、実証的に回答を得ることは難しいと思います。

僕たち、習慣飲酒からアルコール使用障害に至ってしまった人間にとって、

機会飲酒の段階でとどまることはできたのかどうか。

僕たちは使用障害に陥るべくして陥ったのか、

それともこの事態は避けることができたのか。

世の多数派を占めていると思われる習慣飲酒のトラップに陥っていない人たちは、

本当にその危険はないのか、それともたまたま危険なトラップに落ちてないだけで、

危険な双六のコマをスタートさせてしまっているのかどうか。

 

多くの人びとにとって酒は危険なものではありません。

しかし現在の僕の認識では、アルコール飲料は心身に重要な影響を及ぼし得る、危険な薬物の一種です。

あまり過剰に、酒の危険性ばかりを声高に叫ぶのも問題かもしれませんが、

少なくとも若者たちにその危険性の一端を伝えていくことは意味があるでしょう。

 

僕がアルコール使用障害当事者であることを、

明るく当たり前な調子で、カミングアウトすべき時が近いのかもしれません。

2度目の生き直しのお許しをいただいた身の上です、

少なくとも若者に対して利用できる高齢者でありたいと思います。