飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。
本日もリスボンの、たまには闇歴史を振り返る・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
今日は少々、重たい話になりそうです。
僕がいつからアルコール使用障害であったのか、
もちろん、疾病としてのアルコール使用障害の定義が単純ではない以上、
そう簡単には断定できません。
僕は習慣飲酒者となった18歳の時から、
一度飲み始めたら、入眠するまで飲み続けるタイプのドリンカーでしたので、
考えようによってはそのころには、自らの飲酒を制御できなくなっており、
すでに使用障害当事者としての資格をクリアーしていたとも言えます。
僕が大学に入学した1977年には使用障害者としての種がまかれていました。
その種が不覚にも発芽してしまったのは、おそらく2000年くらいのことだったと思います。
そのころから僕は、週1回、昼日中から飲酒するようになりました。
きっかけがありました。
僕は一度、勤め先から停職3カ月という処分を受けています。
一般的には、そのような重い処分を受けることが確実な場合、
依願退職という形をとることが多いようですが、
僕は職場にしがみつきました。
処分の原因はもちろん、僕にありました。
辛い3カ月でした。
ただしそのころ、全く運営主体の異なる職場に、週1回だけ出講していました。
その出勤の帰り道の途中、電車の乗換駅で缶チューハイを購入し、
グイっと飲むという習慣を身につけてしまいました。
甘えが許される言い方をさせていただければ、
本当に辛かった。
そしてその辛さを紛らすための禁断の一缶でした。
この禁断の一缶は、しかし週1回のペースを崩すことはありませんでしたが、
しかしそれまで僕が頑なに守っていた、
1日の終わりに酒を楽しむという原則を崩してしまいました。
2010年以降、昼間にグイっと引っかける、
そして2015年あたりには、まず朝からクイっと飲んでしまう、
そんなまっしぐらな行為が定着し始めました。
その原点は、週1回の乗換駅での禁断の一缶だったと断定できそうです。
僕はずーっと、酒が好きすぎて使用障害に陥ったと思っていましたが、
やはり何のことはない、原因は何であれ、辛さを紛らす酒がきっかけだったようです。
不思議なことですが、それほど後悔はしていません。
断酒サヴァイヴァーとして復活できつつあるからでしょうけど、
僕には自分勝手な運命論者的な部分があります。
なるようになったんだと思ってもいます。
運命論に任せることは卑怯かもしれません。
でも運命の中に仕掛けられている緩やかな選択肢に対して、
時に間違えたり、時に正解を選んだりしてきたんだろうなと思っています。
経験値を積み上げてきた今、断酒ライフの継続という正解の選択だけは、
絶対に崩さんとこと思っています。