僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

意志の力?

飲酒歴40年、断酒歴7年と4カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。

本日もリスボンの、これはもしかすると根本的な問いかも・ノープランブログ、

ご訪問ありがとうございます。

 

僕はおそらく生来、アルコールを受け付けやすい体質だったと思われます。

習慣飲酒が定着したのが、大学に進学し、一人暮らしを始めた18歳の春。

それ以来、肝臓が音を上げてしまった7年前まで、

ほぼ確実に毎日、

恐らくは平均的な成人男子の飲酒量をかなり上回る量のアルコールを摂取し続けました。

 

50歳の前後あたりから、さすがに毎日の深酒はまずいのではないかと考え、

月に2度から3度ほどの休肝日をとった頃もありますが、

習慣飲酒が準連続飲酒の様相を呈し始めた、55歳以降は、

当事者としての自分から見ても、異常な酒の飲み方をしていました。

 

僕たちのような、最終的にアルコール使用障害に陥ってしまった人間に対して恐らく大半の人びとは、

面と向かって直接告げることはないと思いますが、

飲酒量をコントロールできなかった、意志の弱い輩であるとみなしていると思います。

僕たちも自分たちの病の根本的な原因として、

飲酒量を制御できなかった自らの意思の弱さを理由にすることもあります。

 

でもここで少しだけ視点を動かしてみましょう。

飲酒を楽しみながら、アルコール使用障害を罹患していない人びとは、

意志が強かったのでしょうか。

僕たちは飲酒の弊害を知りながらも行き過ぎた悪習から逃れることができなかった、

意志の弱い輩だったのでしょうか。

 

僕は、アルコール使用障害に陥らなかった人びとの意志が特別に強かったのではなく、

彼らにとってアルコールの摂取を控えることは、

ガマンでもなんでもなかったのではないかとも思っています。

 

確かに僕たちは飲酒欲求の誘惑を断つことができませんでした。

しかしそれは、僕たちにとって飲酒欲求が理性の制御の外側にある、

強制性の強い感覚だったからではなかったでしょうか。

 

こんな仮説はどうでしょうか。

僕たちにとって、初めてのアルコール摂取によって得られた快感情や快感覚は、

最初から連続飲酒への制御を困難にするような刺激をもたらしたのではないか、

つまり僕たちは生まれながらにして、

アルコール使用障害に陥ってしまう爆弾を抱えていたのではないか、という仮説です。

 

何を甘えたことを抜かしとんネンと、お叱りを受けるかもしれません。

いや、確実に非難されるでしょうね。

でも、ホンマに皆さん、そんなに強い意志の力をお持ちなのでしょうか。

そもそも、意志の力って、そんなに強いものなのでしょうか。

 

意志の力を難なく発揮できる、あるいは発揮できているように見える人びとは、

実は意志の力なんかには頼っていなくて、

楽なことをしているだけなのではないでしょうか。

 

僕の疑問を解決してくれるのは、

脳内物質や脳内信号の解析を踏まえた、未来の精神医学の知見でしょう。

 

僕は、僕たちが卑下する必要はないと思っています。

僕たちはアルコール使用障害という疾病を罹患してしまったことを恥ずる必要はありません。

そしてこの精神疾患をしっかり見つめながら生き続けていることに、

大いに誇りを感じていいと思います。

 

僕はポジティブすぎますか。