飲酒歴40年、断酒歴6年、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。
本日もリスボンの、未来を憂う・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
今日もまじめに、今月末に予定されている人権研修の講師役のための準備学習をしました。
「フツー」という概念に潜んでいる暴力性が、
僕たちの人権意識を曇らせているというのが講演の趣旨です。
僕はこの問題について、
性的少数者、伝統的?家族観、障害者の問題、
そして異文化接触の4点から攻めてみようと思っています。
今日は伝統的?家族観の問題について、主に社会学的な資料に当たってみました。
ジミン党というクソオヤジ集団が伝統的な家族観の尊重ということを常に主張していますが、
この伝統というやつ、
ほとんどのアカデミックな資料が、それほど昔には遡れないことを指摘しています。
結婚した男女を家族の中心に置き、
父親が労働を担い、母親は家事を担うというこの見方、
かなり遡った考え方でも、江戸時代まで、
多くは明治以降の、日本の近代化政策とともに成立した家族像であり、
決してその歴史は古くないことを主張しています。
つまり、実際には伝統とはいいがたい可能性が高いのです。
僕の感覚では、
ジミン党のクソオヤジ先生どもが主張する伝統的な家族像という幻想は、
昭和30年代後半から40年代前半に確立したものではないかと思っています。
ちなみにジミン党のクソオヤジ先生には、
女性でありながら脳みそがオヤジのオバハンどもも入ります。
あのスギタミオという、人間としての感性を放棄したオバハンもどきはその代表です。
昭和30年代後半から40年代前半、つまり昭和の高度経済成長期です。
その時代を全力で生きた僕たちの先輩方は、
お父さんは朝早くから会社という戦場に出向き、
お母さんは良妻賢母として家庭を守るという役割に没頭しました。
まさに一億総社畜となって、日本の偏った経済成長に邁進したわけです。
たしかにジャパン・アズ・ナンバーワンといわれる経済成長を成し遂げましたが、
しかし同時に、各種の殺人的な公害を招来しましたし、
多様な価値観や生き方に対して完全に目をつぶってしまうライフスタイルが確立しました。
僕たちの先輩方は、
自分の時間や空間を犠牲にして懸命に働き、たしかにお金は手にしました。
でもそのお金は、さらなる経済成長をもたらすための耐久消費財の購入にあてられました。
おそらくクソオヤジ先生たちは、
あの表面的な豊かさの追求こそが社会の幸福だと思っているんでしょうね。
そしてあの狂乱の一億総社畜化を支えるのが、およそ伝統的とは呼べない、
伝統的な家族像なんでしょう。
しかしあの狂乱の高度経済成長が再び起こることがないことは、
少し考えてみればわかります。
あのころの日本は、ムチャクチャ効率の良い、優れた労働力に溢れていました。
しかし現在の世界には、日本以上に効率の良い労働市場があちこちにあります。
日本があの頃の生産性の高さを獲得することはもうありません。
そしてかつての技術大国は、
教育への社会資本の投資を怠ってきたため、
こちらも再来の可能性は極めて低い。
ありもしない伝統的な家族像を追求している時ではないはずです。
今の日本は、
過剰なアルコール摂取がもたらす刹那的な快楽を知ってしまったがゆえに、
心身ともに病んでしまった僕たちのかつての姿に似ているかもしれません。
僕たちは立ち直りのきっかけに出会うことができ、
命がけで断酒ライフを継続していくという崇高な生き方を実践しています。
でもこの国は、病んでしまったことさえ気がついていないかもしれません。
この国に根付いてしまった「フツー」尊重病は、治癒以前に診断そのものが難しいようです。
本当の意味での人権尊重の思想や感覚が根付くかどうか。
この国の未来に関わる問題について、僕は語ることになりそうです。
僕たちは生き証人として、断固として断酒ライフを継続していかなければなりません。