僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

勝手に気を揉んだ1年間

飲酒歴40年、断酒歴7年と11ヶ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。

本日もリスボンの、思い込みの激しいレベル65・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

今日も勝手に今年を振り返ろうと思います。

 

昨日も仕事関連の話題で、ディスり倒しましたが、

今日も仕事関連の話です、スンマセン。

もっとも今日のディスりの対象は、僕自身です。

 

以前にも報告したことがありますが、

定年を迎えた大学教員のその後ですが、

大きく三つの可能性があります。

 

一つ目。特任教員として教育や業務への関りを継続する。

二つ目。非常勤講師として授業だけを担当する。

三つ目。完全に退職してしまう。

 

僕は一つ目の可能性については、極めて薄いながらも、期待はしていました。

少なくとも、二つ目の契約雇用はあり得るだろうなと思っていました。

 

しかし結果は、三つ目でした。

4月からは大学構内をウッカリうろうろすると、ただの不審者扱いになります。

 

大学の教員人事というやつですが、

大学にもよるのでしょうが、少なくとも僕の勤務してきた大学では、

前年度の12月くらいにようやく、最終的な案が決定されます。

おかげで僕も、相当長い期間、気を揉むことになりました。

 

非常勤講師としての雇用の目もないことが明らかになった時には、

何とも冷たい仕打ちを受けるもんだなと逆恨みに近い感情をもちました。

 

でも冷静に考えてみれば、ホンマに逆恨みに過ぎなかったようです。

定年に達したくたびれ教員を雇用し続けるよりも、

伸びしろも熱意もある若い研究者に授業を託す、

大学としては当然の選択です。

 

僕は大学とあまり良好な関係をもてなかったことから、

ひねくれた感情を醸成してしまいました。

 

まだ若者たちに語り続けたい気持ちはあります。

しかし定められた節目には、それなりの社会的な意味があるはずです。

わがままを言い続けるのも、あまりカッコの良いものではなさそうです。

僕の厨二病スピリットは、しかるべきところで爆発させます。

 

もちろん僕の定年退職は、こんなイメージではありませんよ。