飲酒歴40年、断酒歴7年と9カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。
本日もリスボンの、ホンマの区切れ・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
本日、勤務先の大学の、所属部署の会議で、
最後通告といってもよい、議題を突き付けられました。
僕は今年で定年を迎えます。
定年後の大学教師の身の振り方ですが、
いくつかのパターンがあります。
1,特任教員として、肩書はそのまま、期限付き雇用へ移行するパターン。
もちろん、給与は半分くらいにはなります。
2,非常勤講師という肩書になり、特定の授業だけを受け持つパターン。
給与は担当コマ数でカウントされます。
3,客員教授という、ようわからん立場への移行パターン。
これは、レアケースですし、雇用というよりも、名誉職への移行のようなものです。
4,そしてホンマの定年退職。
今日の会議で明らかになったことは、
僕がこれまで担当していた授業の全てについて、
後任の人事案が示された、
つまり僕は、上記の4のホンマのお役御免退職になるということでした。
後任の方々の人事について、一切、事前の相談はありませんでした。
平静を装っていましたが、正直、ショックでした。
まだまだ、非常勤講師としての依頼の可能性くらいはあるかもと思っていました。
会議の所属メンバーからも、何の発言もありませんでした。
僕一人だけが、蚊帳の外にいて、そしてショックを受けていただけでした。
勤務先での孤独状態を突き付けられました。
もちろん、ふいに突き付けられた僕の職場内での孤立は、
僕の勤務態度や、独特の対人関係のとり方に理由の一端があります。
好きなようにやってきました。
組織の成員として優等生ではなかったことは事実です。
日本社会独自の同調圧力的なあり方に対しては、
明らかに抵抗してきました。
僕自身も、誰にも心を開きませんでした。
特にアルコール使用障害者であることを自覚してからは、
精神疾病患者に対して本当に理解のできる同僚がいるとは思えませんでした。
30年、勤めました。
駆け出しのころは、夢中でした。
そして事件を起こし、大学に多大な迷惑をかけてしまいました。
決して軽くはない処分を受けました。
でも処分満了後の人事上の扱いの方が厳しかった。
くそみたいな同僚が先に昇進しました。
僕は障害学という新しい研究領域に純粋に学問的な活路を見出し、
研究に邁進しました。
少しづつ成果を上げることができ、納得できる人生を送っていたはずでしたが、
8年前に心と体を壊しました。
そして病気療養後、断酒者として新たな人生を歩み始めました。
今日、一つの区切りを通告されました。
当たり前の通告です。
来年から若者たちと関わる機会が激減します。
でも僕には音楽があります。
断酒ライフ継続という、楽しみ兼課題もあります。
まだレベル65、腐っているわけにはいきません。