僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

一部のスポーツマンの心の狭さ?

飲酒歴40年、断酒歴2年と6か月、不良初期高齢者、リスボン、59歳。

本日もリスボンの、ちょっと誤解を招くかも・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


今日は少なくとも関西地方の天候は、
さわやかでした。

気持ちよく晴れたうえに、湿気が極めて低く、
またここ、琵琶湖畔では、適度な風も吹きました。

外で日向にいても、いやな暑さは感じませんでした。

このまま秋に突入してくれればいいんですが、
多分、そうもいかないでしょうね。

皆さん、暑さのぶり返しに注意しましょう。



ところでこの頃、スポーツ界のあまり好ましくない事態がワイドショーをにぎわしました。

日大アメリカンフットボール部による、危険なボディ・タックル問題、
女子レスリング日本チームにおける監督のパワハラ問題、ならびに、
その監督の上司?であった大学学長の不思議な言動、

そして、アマチュアボクシング界の、
「歴史に生まれた歴史の男」、「世界の××」、「カリスマ××」終身会長をめぐる騒動。


何かほかにもあったような気がしますが、
とにかく、どの騒動も指導者?とされるいい歳こいた大人たちの情けない言動が世間の反感を買いました。


どうも体育会系の組織では、
外から見れば異常と思わざるを得ないような上意下達のシステムが絶対的な制度としての強みを保っているようです。


恐らくそのことは、
指導者の多くがかつては一流のアスリートであり、
素晴らしい実績を残していること、

あるいはそうでない場合においても、
指導者として優れたアスリートを育成したキャリアがあること、

いずれにしてもスポーツ界の指導者は、
何らかの過去の栄光を根拠に、
非合理的な指導を行っている可能性があるようです。


そしてそのような指導者が業界全体のオピニオンリーダーとなっていったときに、
裸の王様状態が形成されていったのでしょう。


過去の素晴らしい実績や経験が一つの指導方法の根拠として説得力をもつことは理解できます。


ただし、過去の栄光というやつは、
未来永劫にわたって輝き続けるという暴力性も秘めていることに注意しましょう。

過去の栄光がもたらす輝きは、しかしながら、
何らかのパラダイムシフトが起こった時にもろく崩れてしまう可能性を秘めています。

そして過去の栄光に縛られたアスリートたちが陥りがちなのは、

自らの栄光がもたらす方法論が力を失っていく事態に対して、
すなおに受け入れる感受性が乏しくなりがちだということだと思われます。


俺がやってきた努力は間違いではなかった、
あのトレーニングは苦しかったが、
その苦しみを乗り越えたがゆえにあの栄光を手にすることができた、
今、俺の指導を求めている若者たちにも、俺が味わった栄光をしっかりと体験してもらおう、
先輩として自らの歩みを惜しむことなく、後輩たちに伝えよう。


きっと多くの元アスリートは考えると思います。

しかし世の中の様ざまな事柄と同じく、
スポーツも変化し、進化します。
レーニングについても新しい方法論が考案され、
その実効性が証明されていきます。


ここで、自らの過去を相対化できる賢人のアスリートは新しい方法に挑戦できる可能性がありますが、
過去の栄光に縛られたままの感受性の乏しいアスリートは、なかなか変わることができないのでしょう。


恐らくこの国の教育界は、
スポーツと体育、そして軍事教練が不幸な結びつき方をしてしまった過去にいまだに束縛されているのでしょう。


少し飛躍するかもしれませんが、
この国の飲酒文化も、
このようなスポーツ文化の負の遺産の影響下にある部分が少なくないように思えます。

おっさんが仕切るような宴席における、
「ワシの酒が飲めんちゅうんかい」という恫喝は、
明らかに表面的な上位者による下位者への自らの経験の押し付け、押し売りでしかありません。


幸いにも僕にはそのようないじめ?を受けた過去はないのですが、
そんなかっこ悪い宴会精神が僕たちの仲間を増やしてしまった可能性は否定できません。

そしてそのカッコ悪い宴会精神と、
この国の軍隊的スポーツ精神は、
根っこが同じかもしれませんね。


今日はちょっと過激なことを書きすぎたかもしれません。


アスリートたちが陥りがちなもう一つの心の狭さについて、
また機会を改めて考えてみます。


僕たちは元気で楽しい断酒ライフを貫きましょう。

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。