僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

アスリートたちの勘違い?

飲酒歴40年、断酒歴もうすぐ2年と7か月、不良初期高齢者、リスボン、59歳。

本日もリスボンの、僕の勘違いであってほしい・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。



昨日は、最近の日本のアマチュアスポーツ界の困った事件について、感想を書きました。

昨日の僕の結論は、
多くの困った事態の原因は、
スポーツ指導者が陥りがちな独善的勘違いにあるのではないかというものでした。


以前にも書いたかもしれませんが、
僕はスポーツ指導者というか、体育教師という連中が、
こどものころから死ぬほど嫌いでした。

今では僕自身が少しは大人になった可能性もあるので、
スポーツ指導者や体育教師の中にもいい人はいるんだろうなと思いっていますが、

基本的な感じ方はあまり変わっていません。


あいつらは「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉の意味を勝手に誤解し、
身体を鍛えることが精神を高めることにつながるという、
あまりにもシンプル極まりないロジックですべてを判断します。

バカです、はっきり言って。


物事を判断する物差しは一つではないという、
多くの人がまずは確認すべき大前提を全く知りません。

ですから自分のことを唯一無二の存在であるかのように、
1人称で語ることができるのです。


さて昨日も書こうと思いつつ、書ききれなかったのは、



そのような視野狭窄的な思考法は、
スポーツの指導者に限った話ではなさそうだということです。


2年前、僕が断酒ライフに入門したころ、
清原が覚醒剤取締法違反で逮捕されました。

そして多くのマスメディアが薬物使用障害の恐ろしさについて盛んに取り上げました。


幾つかのテレビ番組では、
薬物使用障害を乗り越えつつある当事者の方も出演し、
精神的な疾病としての薬物使用障害について語りました。


そんな番組の一つの場面です。


たしか覚醒剤依存症の当事者の女性の方が登場し、
その恐ろしさについて語っていた時です。


彼女が当事者としての的確な視点から、

「スポーツ選手が薬物に走ってしまうのは、
薬物がもたらす快感がスポーツの栄光がもたらす快感とかなり近似しており、
それ故、精神を鍛えたはずのアスリートも薬物の魔の手に染まってしまう」

と語った時です。


一緒に番組を進めていた二人の元アスリートが彼女のコメントの途中で感情的な調子で異論を唱えました。

「アスリートが努力の結果として達成した栄光に伴う喜びと、
薬物に使用によってもたらされる安易な快感を一緒にしないでくれ」

というのです。


あまりにも二人の言葉の調子がきつかったので、このコーナーは生煮えのまま、時間切れになってしまいました。


ちなみに二人のアスリートとは、
ともにスイマーの
M(男子)とT(女子)です。

二人ともタレントとしても活動しており、
ある意味でテレビ慣れしている元アスリートです。


僕はこの番組をたまたま見ていました。

病気療養中ということで休職扱いになっていましたし、
また、自らも陥ってしまった薬物使用障害についていろいろ知りたいという気持ちがありました。


その番組では、
翌日に発言を途中で遮られた形の使用障害当事者の方が今度は一人で出演され、
落ち着いた口調で、覚醒剤のもたらす爆発的な快感の恐怖について語っていました。


前日のMとTによって遮られた彼女のコメントは、
その二人がいないスタジオでしっかりと語られました。


前日のMとTのある種の発言妨害について、
全く理解できないわけではありません。

二人ともオリンピックのメダリストであり、
凡人の理解を超えた努力の結果として栄冠を手にしたことでしょう。

したがって、自分たちの栄光と、
たかが薬物によってもたらされる快感を一緒にしてほしくはなかったのだと思います。


しかし使用障害当事者の方は、
アスリートの栄光を貶めるためにコメントしようとしたのではありません。


あまりにも急激に快楽や全能感をもたらしてくれる覚醒剤の危険性について、
説明しようとしたのです。


MとTの反論は、この方の真意を理解しようとする前に感情を爆発させてしまった点において、
近視眼的でした。


恐らくこの場合は、MとTの視野狭窄を責めるよりも、
そのような展開を予想しなかった番組の構成者の不明が責められるべきでしょう。


いずれにしても、
当事者の方は、覚醒剤の想像を絶した危険性について的確に述べようとされたことは間違いありません。

しかし、テレビ慣れした著名なアスリートの色を成した反論の前には無力であったようです。


MとTの行動は、
昨今の天井天下唯我独尊を誤解してきたスポーツ指導者たちの傍若無人なふるまいに比べれば、
すなおなものかもしれません。

しかしやはりそこにはある種の視野狭窄が認められます。

このような視野狭窄を克服することは容易ではありません。



僕も研究者の一人ですが、
アカデミーの世界に生きている輩の中にも同様の視野狭窄を自覚できない連中は少なくありません。


また少し長くなってしまいましたが、
僕たちアルコール使用障害当事者は、
少なくとも二通りの人生を経験していますので、

人生の多面性について語る資格はあるものと思います。

僕たちも語るべき時には語りましょう。

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。