飲酒歴40年、断酒歴5年と10か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。
本日もリスボンの、今日はちょっと重たいかも・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
僕が障害者福祉の現場に関わるようになって20年ほど経ちました。
そして障害学という研究領域に関わるようになってからも15年ほど経っています。
障害者福祉と障害学の関係については、
学術的にはかなり入り組んだ説明が必要ですので、話を省きますが、
関係がありながらも、目的の異なる、全く別の営為であることはお伝えします。
そして5年半ほど前に、
僕自身がアルコール使用障害という精神疾病の当事者であることを自覚させられました。
大分以前に報告したことがありますが、
僕は、過剰飲酒による内臓疾患の診断と、
これもまた過剰飲酒による精神疾患の診断をほぼ同時に受けたことを、
断酒ライフを持続させる意思の継続のために幸運な要素であったと思っています。
アルコール使用障害の診断を受ける以前の僕は、
薬物使用障害の当事者に対して、哀れみの気もちをもつと同時に、
心持の弱かった人だったんだろうなという、ある種の蔑みの気もちをもっていました。
しかしいざ自分自身が薬物使用障害の当事者になってみると、
当事者の苦しみは当事者にしか理解できないという、
おそらくは誰にも否定しようのない強力な事実を思い知ることになりました。
そして薬物使用障害当事者たちの命がけの戦いに対して、
同志としての共感を感じながら知ることができるようになりました。
僕たち、薬物使用障害者がこの精神疾患に至った過程には、
もちろん、僕たち一人ひとりの、それぞれがもっていた弱さがかかわっていたと思います。
時に人びとは、その弱さゆえに薬物使用障害当事者に対して冷たい視線を向けます。
特に、繰り返し薬物の誘惑に堪えられなかった同志に対する非難は、むごたらしいことも少なくない。
マーシーこと、田代まさし氏に対する世間の反応は、その典型でしょう。
田代氏が戦っているのは、薬物使用障害の中でも当該薬物の残酷度の特にひどい、覚醒剤です。
田代氏は覚醒剤を断ち切る戦いに挑み、そして何回か挫折しましたが、
しかしまた何度も果敢に挑み続けています。
僕は当事者の一人になってから、田代氏の戦いの厳しさの一端が理解できるようになりました。
当該薬物が何であれ、僕たち、薬物使用障害当事者全員に共通することがあります。
それは、僕たちは生き続けるためには、当該薬物を決して摂取してはならないという大原則です。
この大原則は、考えてみれば厳しい。
なぜなら、代替手段は全く存在しないからです。
そしてこの原則に対する裏切りは、多くの場合、死に直結します。
この厳しい大原則とともに生き続けるためには、
逆説的に聞こえるかもしれませんが、
強がっては逆効果でしょう。
僕たちは僕たち自身を、まずは僕たち自身が受け止める、
そしてその原因となったかもしれない僕たちの弱さに対して必要以上に卑屈にならず、
あるがままの自分を強がらず、そよ風のように受け入れる、
それもできる限り楽に、そしてしなやかに受け入れる、
そんな竹のような生き方が大事なように思います。
僕たち、昭和世代は、
まじめに努力しながら戦う人生をしつけられてきました。
でも僕たちは戦う必要はありません。
根っこはもちながら、しなやかに風を受け流して生きていればいいに違いありません。
皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで、
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。