アル症・肝硬変、ともに落ち着いています、リスボン、58歳。
本日もリスボンの、しつこく振り返り・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
退院(脱走?)から1週間たちました。
先週の木曜日、無理やり主治医のセンセイをやり込めて病院を脱出、
ただし、運動量は普段の二分の一以下、
そして、その後、咳は止まらず、飯も少ししか食べることができず、
それって入院中の病人じゃん、と思いながらも、仕事をこなしてきました。
ただし、運動量は普段の二分の一以下、
そして、その後、咳は止まらず、飯も少ししか食べることができず、
それって入院中の病人じゃん、と思いながらも、仕事をこなしてきました。
のどはホンマに日にち薬のようです、徐々に良くなっていますが、目が覚めたら完全に恢復、なんてこともなく・・・
ただ、食事量は確実に増えています。
特に晩ご飯は、もうすぐご飯を一膳、食べることができそう。
特に晩ご飯は、もうすぐご飯を一膳、食べることができそう。
階段の上り下りも脱走直後に比べると、格段に楽になりました。
睡眠はしっかりとれています。
焦らず、焦らず。この週末はしっかり休みましょう。
言い過ぎたかな、とも思いつつ、時間がたって読み返してみても、そんなに的外れの中身でもないなと思っています。
おそらくは少年時代の経験が重くのしかかっているのだろうなと思います。
僕は、僕の一族がなぜ日本にわたってきたのかについては、知りません。
いわゆる強制連行ではなかったようです。
いわゆる強制連行ではなかったようです。
そして伊豆半島の先っちょの町で、在日にとって起業しやすかった業種であったらしい、小さな土木屋さんを設立したようです。
祖父はある程度の事業の成功をおさめ、僕の父親たちの世代に引き継ぎました。
ここで父親たちは、巧妙なビジネスの分担を行ったようです。
長男と三男が祖父の事業を受け継ぐ。
次男は、同業種の別会社に出向する。
四男は、異なる土地で異なる業種につく。
五男は、長男と三男のビジネスを手伝う。
次男は、同業種の別会社に出向する。
四男は、異なる土地で異なる業種につく。
五男は、長男と三男のビジネスを手伝う。
男兄弟5人のうち、3人が家業を引き継ぎ、一人は同業者他社に、そして一人は異業種に就業するという形をとり、
どうやらリスクの分散を図ったようです。
どうやらリスクの分散を図ったようです。
ちなみに僕の父はこの中の三男です。
この5名のうち、3名がアル症を罹患しました。
その中の1名は、死後、数週間後に発見されるという、悲惨な孤独死を遂げました。
1名は、自宅の自室で家族に看取られて亡くなりましたが、内臓はボロボロだったそうです。
その中の1名は、死後、数週間後に発見されるという、悲惨な孤独死を遂げました。
1名は、自宅の自室で家族に看取られて亡くなりましたが、内臓はボロボロだったそうです。
アル症ではない1名は、長年行方が分からない中で、ある日突然、東京の福祉事務所から、危篤であるという知らせが入り、
そのまま亡くなりました。
そのまま亡くなりました。
5名のうち3名がアル症であったと書きましたが、最後の行方知らずの中で孤独死を遂げた叔父も、アル症であったかもしれません。
結局、巧妙にリスクの分散を図ったのですが、本家本丸がどうしようもないことになりましたので、
親族一同、離散状態のままです。
親族一同、離散状態のままです。
この叔父は、こどもの目から見ても、仕事には熱心ではなかったようです。
釣りが大好きで、自らの釣り船も所有していました。
またどうやら、外に妾さんも囲っていたようです。
釣りが大好きで、自らの釣り船も所有していました。
またどうやら、外に妾さんも囲っていたようです。
そして僕たち、3世の目から見た時に、このビジネスのできない叔父のしりぬぐいをしていたのが、
三男、すなわち、僕たちの父親でした。
三男、すなわち、僕たちの父親でした。
父は在日でありながら、専門学校で様々な職業資格を取得し、祖父の起こしてくれた事業の継続に力を尽くしていたように見えました。
そんな僕たちにとって一族の盟主である長男の叔父は、
仕事もできないくせに、いばりちらし、理不尽に怒りまくっている、めんどくせぇ、おっさんにしか見えませんでした。
仕事もできないくせに、いばりちらし、理不尽に怒りまくっている、めんどくせぇ、おっさんにしか見えませんでした。
この長男の母、すなわち僕たちの祖母も、僕たちからは、むちゃくちゃなおばはんにしか見えませんでした。
そして、この二人、祖父が亡くなったのちは、この二人が一族の意志の最終決定検者になるのですが、
いつでも酒臭かったのです。
もっとも僕の父も、毎晩、酒を飲んでいましたので、酒そのものに対する嫌悪感はありませんでした。
しかし、無能のくせに酒ばかり飲んで威張り散らかし、怒りまくっている、
叔父に対する嫌悪感は、僕の中では相当、大きかったような気がします。
叔父に対する嫌悪感は、僕の中では相当、大きかったような気がします。
でも、面と向かって逆らうことはできません、韓民族にとっては。
いやな思いではなんぼでも湧いてきます。
そして僕も恨の人間ですので、その嫌悪感は、決して昇華されることはないのです。
僕は僕の出自に対して、僕の民族的・文化的アイデンティティーに対して、全面的に否定的に感じているわけではありません。
しかし、3日連続で報告したような、ネガティブな面とも正面から付き合わなければならないなと思っています。
しかし、3日連続で報告したような、ネガティブな面とも正面から付き合わなければならないなと思っています。
いずれ韓民族の良い点についても、書きますね。
ということで、