僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

初老を感じる、今さら

イメージ 1

飲酒歴40年、断酒歴2年と4か月、おっさん歴?年、 リスボン、59歳。

本日もリスボンの、そらそやな・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


今日は仕事の予定もバンドの予定もありませんでした。

久しぶりにのんびりできる土曜日ですが、

大学の仕事場に行きました。


理由その1。

昨日、パソコンの電源コードを仕事場に忘れてしまったこと。

僕は現在、3台のPCを使い分けていますが、
昨日、普段は家に置いたままのメインPCを仕事場に連れていき、
帰りに電源コードだけを忘れてきたので、
昨晩は、
主に出張と授業のスライド投影用に使っているマックを使っていました。

やっぱりメインのウインドウズマシンの方がいろいろと便利です。


理由その2。

今日は家に家族のフルメンバーがいますので、
一人でいる方が気が楽だなと思い、
僕にとって仕事場は第二の自宅のようなものなので、
出かけたということもあります。


で、
午前中は仕事場に行ったにもかかわらず、
仕事もせず、
ピアノの練習をし、

大学の校舎の中庭で蜂の写真を撮って遊んでました。



さてタイトルの話題ですが、

今さら自らの高齢化を自覚するもへったくれもないのですが、

午後からドンキホーテに出向きまして、ふと感じてしまったことがあったのです。


僕は
いわゆるパーカーという普段着を、
どうしても着る気になりません。

もちろん、一着も持っていません。

理由として考えられるのは、

寒くもないのにフードが付いていること、

そしてフードの首元を整えるための2本のひもがだらっとぶら下がっていること、

この2点のせいでどうしてもパーカーというアイテムを好きになれないことです。

どうっちゅうことないやないか、といえばどうということはないのですが、

何故か、理屈の上からも生理的な感覚からもこの2点セットが受け入れられません。


で、僕は、
僕のこの感じ方をまっとうなものであると考えてきました。

しかしちょっと見方の焦点を動かしてみると、

僕がどうしてもごく普通の時代の流行ものを受け入れることができない、

そしてそれは
単なる年寄りのわがまま以外の何物でもないということがわかりました。

僕がパーカーを着ないのは、僕の感覚が時代について行っていないからなのです。

なら、ついて行けばいいだけのことなのですが、
どうしてもできません。

多分、これが、老化、というやつなんでしょうね。

今さらじじぃ化を自覚しているのですが、

ここで選択は二つあると思います。

開き直ってじじぃを続けるか、

少しでも時代に合わせることに挑戦してみるか。


僕はじじぃを続けると思います。

多分、そのほうが楽ですし、
無理しても、お里が知れますでしょうしね。


アル症が断酒ライフの楽しさをもたらしてくれていることと同じように、

感覚のじじぃ化がきっとじじぃライフのおもしろさをもたらしてくれると思います。

多分、この選択肢のほうが、若造どもと対等に渡り合えるような気もします。

(って、すぐ、勝負したがるのも、じじぃの証拠です)


何はともあれいつものように

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。